松沢呉一のビバノン・ライフ

イスラム圏でも揺れるベール(スカーフ)の扱い—ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する[2]-(松沢呉一)

チュニジアのフェイスマスクとブルカ・ニカブ・ヒジャブの関係—ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する[1]」の続きです。

 

 

 

チュニジア革命までベールは否定されていた

 

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ヒジャブはスカーフと訳すのが定石のようですが、以下、ブルカ・ニブカ・ヒジャブの総称をベールとします。

ベールの意味を考えるのに、チュニジアは大変いいサンプルです。

前々回出した路上の写真では、ヒジャブをしている人たちが複数います。年輩の人たちや保守層は今もしている率が高い。しかし、プロテストをするような層はしないし、若い世代ほどしない。

とくにチュニジア革命以降の世代はしないとも言えそうですが、よくよく調べると、話はそう簡単ではないことがわかります。

ベールの禁止はフランスで始まったのではなく、それよりずっと早くからイスラム圏で始まっています。こちらは防犯上の理由ではなく、近代化のためです。日本で帯刀や丁髷を禁止したのと同じ文脈です。

帯刀はともかく、今となっては「丁髷をするのも個人の勝手だろ」ってことになりますけど、個人が好き好んで丁髷をすることが選択できるようになったからであって、誰もがしなければならないものだった社会においては、いったん禁止する必要があったことは理解できます。

1950年代から、チュニジアでもブルカは公共の場や学校での着用が禁じられていて、政府はヒジャブの着用もしないことを推奨。独裁政権だった時代であろうとも、世俗国家としてイスラム圏ではもっとも女性の権利が広く認められてきたことと関係しています。

チュニジアではイスラムが国教ですから、最初から普遍主義はありえない環境のようにも感じられますが、フランスではカトリックが強いためにライシテ(政教分離)を徹底する必要があったのと同じで、だからこそ、公共の場では禁止にするという論理は普遍主義の考え方からすると筋が通っています。

言われれば納得ですが、これは意外でした。

英語版Wikipediaより、ブルカを禁止している国(義務化している国ではないので注意のこと)。おもにヨーロッパの国とイスラム圏の国々。

 

 

チュニジア革命でベール禁止は解除

 

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ところが、チュニジア革命で禁止は解除となったそうな。つまり、学校でベールをつけていてもよくなったのです。

これも意外。

チュニジア革命で民主化の方向に進んだものもあれば、後退しているように見えるものもあります。

ソドミー法で逮捕される例も革命以降増えているようです。これは表に出てきやすくなったことで告発や摘発が増えたとも言えるのですが、ブルカ禁止解除は「公権力による禁止は個人の自由の侵害だ」という考え方に基づくものなのでしょう。政教分離の考えに則るとしても、「縛られるのは公立の教員まで、私立は自由でよく、公立の生徒も自由でいい」という考えは成立します。

現にチュニジアではすでにベールはする必要がないものという認識が定着しているので、その中では個人の自由として認められる。「丁髷するのも勝手だろ」ってことです(そのうち出てくるように、チュニジアではその意識調査も複数実施されています)。

これについては今なおアラブ社会でも、ヨーロッパでも議論されています。

 

 

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