すぐに元に戻せる方式であることがクオータ制の条件—ウガンダとチュニジアのクオータ制[3]-(松沢呉一)
「チュニジアが採用したクオータ制は後退—ウガンダとチュニジアのクオータ制[2]」の続きです。
クオータ制の成果は長い目で見ないとわからない
比例代表制での名簿の男女比だけを法で定めるタイプのクオータ制は逃げ道がナンボでもあります。下の方に当選する可能性のない名前を連ねて規定の割合にすればいいだけ。いわば数合わせ、いわばダミー。
そこで、チュニジアのような、比例代表制での名簿順位の調整で女性議員を増やすジッパー方式が出てくるわけですが、この方式の問題は、「やる気」「能力」「人気」で言えば名簿の5番目になるべき男性候補者がクオータ制で9番目になって当落スレスレになってしまう場合、党を出て自分の党を立ち上げた方がいいという判断をする人が増えてしまうことです。前回見たように、チュニジアはおそらくそうです。
これは男性候補者ですから、必然的に新しい党のリストでは、トップは自分です。
とくに女性議員の実績が蓄積されないうちは、「三期目のオレ様がど新人の女より下かよ」ということが起きやすい。
選挙ではエゴ剥き出しになる。だから、なかなか自分が負けたことも認められず、根拠もないまま不正選挙だと言い出す人が消えない。現実に不正選挙が行なわれている場合があるのがまた厄介ですが、不正選挙をやるのもまたエゴ。独裁を防止するために、連続で大統領をやることに制限をつけておいても憲法を改正するのが出てくるのもエゴ。
そんなエゴがぶつかり合う選挙において、自分の方が得票できているのに落選するのが耐えられない人が出てくるのは当たり前のことであって、党を出ると不利になることがわかっていてもそうする気持ちはよくわかります。どうせ落選するんだったら、自身の責任として納得できる方法をとる。
これを制度で防ぐ方法は、現状議員を出している政党以外に新たな政党を作ることができないようにするなど、非民主的なルールを導入する以外にないのではないか。
条件次第だとは思いますが、ジッパー方式のクオータ制を導入すると多党化が進み、これ自体悪いことばかりではないですが、多党化が進むと、「やる気」「能力」「人気」の高い人材が女性に増えない限り、女性議員率が落ちて、結果クオータ制の意味を失わせます。
しかし、さらに長い目で見れば、独立して政党を作った人が、自分の党の議員を増やそうとした時に、二番目は女の議員にすることを考えるわけですから、人材を育てるしかないというところに至ります。また、既存の大政党でも、当選した女の議員は実績を積み、知名度も上げていくわけですから、二期、三期目につながります。
すべて長い目で見るしかない。
※「Why gender quotas don’t work in Brazil? The role of the electoral system and political finance」 ラテンアメリカではブラジルが失敗例の典型で、クオータ制を導入したことによって女性候補者は増えたのに、それに伴っては当選者は増えず、20年間で6.6パーセントから9.5パーセントにしか上昇しなかったのはなぜかをブラジル・バイーア連邦大学(Universidade Federal da Bahia)の研究者が分析した論文。大きくふたつの理由が挙げられていて、ひとつは制度の欠陥です。当然そうなることが想像できますが、比例制の男女比に決まりを作ったところで、見かけ上の数字でクリアする政党が続出でしょう。ダミーの候補者を揃えればいいだけ。もうひとつは選挙資金です。ブラジルでは選挙資金の多寡と当落には相関関係があって(程度は違えど、どこの国もそうか)、金を使える候補者が勝つ。この資金は企業献金と富裕層からの個人献金で、現職が圧倒的に強い。実績のない候補に金は出さないのは当たり前。つまりは新人が出にくいってことであり、クオータ制では改善しようがない。かといってクオータ制を機能させるために、他の制度をいじることが適切なのか否か。
タンザニア方式かウガンダ方式か
三期、四期といった長い単位で見た時に、ウガンダのような女性枠という方法と、名簿方式とどっちがいいのかを検討した論文があったので、紹介しておきます。
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