松沢呉一のビバノン・ライフ

学校での着用禁止は賛成、公道での着用禁止は反対—ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する[3]-(松沢呉一)

イスラム圏でも揺れるベール(スカーフ)の扱い—ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する[2]」の続きです。

 

 

 

学校や役所での禁止と、公道の禁止とを区別する

 

vivanon_sentence「自分の意思である限り、各自好きにしたらええ」と考える私としては、イランで生まれ育ったがために、また今なおそのプレッシャーが家族などから与えられ、それが内面化している人であっても、「自分で選択している」と表明するのであれば、それは自分の意思ですから、尊重すればいい。

公道はその意思が尊重されていい場だと私は考えますから、宗教的・伝統的格好でも好きにしたらええ。しかし、宗教的標章である以上、公立の学校(「私立であっても義務教育の学校」「公的資金が投入されているあらゆる学校」までを含んでもよし)では持ち込み禁止でいい。

個々人がそのプレッシャーから逃れて自ら選択できるためには、それぞれが抱えた背景をいったん切り捨てて、無地、無色のフラットな個人になる場が必要であり、学校はそういう場所。

男女別学は本来差別であって、ない方がいいと思いつつ、社会的なプレッシャーを遮断して、個人の判断ができるようにするために、男女別学は容認されていいと私は考えるようになってますが、あくまで理想を実現するための過渡期としての措置です。そこに寄与しない学校の別学は廃止でいいと思うのですが、学校の自律という考えからして踏み込みにくく、公立だけでも別学は廃止すべきだと思っていることはこれまでにも書いてきた通り。お茶の水大や奈良女子大です。

日本の場合、公立学校側は政教分離をすべきではあっても、生徒が宗教的標章を身につけることは個別の学校の規則で定めがあるだけでしょうが、これを徹底しているのがフランスであり、その考え方を私は支持していますので、ヒジャブ禁止も支持します。

※2014年8月6日付「AFPBB NEWS」 ウイグルで、ムスリムの伝統的衣裳を着用してバスに乗車することを禁止したとの記事。ヒジャブもここに含まれるばかりか、長いヒゲも対象。中国人だって長いヒゲはいるでしょうけど、中国は宗教の規制を躊躇なくやりますから、ムスリムに限定しそう。インド人だとまた別基準で、ターバンや長いヒゲも「イスラムと紛らわしい」と難癖つけそうですが。さらに12月になって、広く公共の場でのブルカやニカブも禁止したようです。理由は違うのですが、公道でのブルカやニカブを禁止しているフランスやオランダなどの国々も中国を批判しにくいでしょう。つうか、それらの国々の動きを踏まえて、中国は「使える」と思ったのかも。

 

 

公道でのヒジャブ禁止にもマスク着用義務にも反対する

 

vivanon_sentence公務員や政治家は、仕事中については純然たる個人としてそこにいるのでなく、納税者の代理、代表としてそこにいるのですから、個人の背景は持ち込むべきではありません。子連れで議会に出ることも禁止していい。役所や議場はそういう場です。

これと同じく、理想を実現するための過渡期的措置としてクオータ制を求める人たちがいるわけですけど、これについてもチュニジアはいいサンプルであり、さらに別枠で見ていきます。

 

 

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