松沢呉一のビバノン・ライフ

エチオピア政府軍もティグレ人民解放戦線もどっちも戦闘をやめれ—ポストコロナのプロテスト[113]-(松沢呉一)

シリーズとしては「チュニジア革命(ジャスミン革命)から10年目のプロテスト—ポストコロナのプロテスト[112]」の続きですが、内容は「とくにアフリカ大陸で民主主義の後退は避けられない—パンデミックの年を振り返る[2]」あたりからの続きです。

 

 

 

その後のエチオピア

 

vivanon_sentence今現在進行しているプロテストの中で、私が注目したものについてはだいたい取り上げることができて、また今週末に備えているところです。

一段落したところで、ここまで取り上げて来たプロテストのその後をチェックしているのですが、エチオピアはもう手がつけられない状態です。

ポストコロナのプロテスト」で取り上げたのはオロモのスター歌手であったハチャル・フンデッサ殺害にまつわるプロテストでした。あの事件にもティグレ人民解放戦線(TPLF)が関わっているのではないかとの説もありましたが、内戦が始まって、そんなことはすべてすっ飛んでしまっています。

ティグレで民間人の大量殺戮があったことは間違いないのですが、今も入ることができないエリアが多いため、何が起きたのかわからないまま、数万に及ぶ難民が発生しています。国連の機関を中心に援助が行なわれていますが、国内難民と化した人々も数万人いて、両方を合わせると、10万人くらいが難民に。この人数もさまざまあって、正確なことはわからない状態。

以下は最新の2月3日付「国連ニュース」。

 

 

ここでは援助が必要なのは数十万人と言ってます。難民になってなくとも、ティグレでは食糧が足りてないはずですから。

 

 

TPLFはエリトリアにロケット弾を発射

 

vivanon_sentence上のニュースの中にもあるように、ティグレにはエリトリアからの難民キャンプがあります。

以下は国連の援助が難民キャンプ届いたことを知らせる昨年12月28日付「国連ニュース」。

 

 

 

 

こんな子どもがいっぱいおるのですよ。

エチオピアのハチャル・フンデッサ射殺事件—ポストコロナのプロテスト[48]」に書いたように、ここで新型コロナが蔓延。国際的な援助が減らされて、エチオピア政府は難民キャンプの維持ができないため、難民をアディスアベバに移しつつ、キャンプを縮小する計画があったのですが、国連難民高等弁務官事務所が反対し、内部の反対もあって頓挫していたところに、ウイルス攻撃と内戦が始まりました。

ここには出ていないですが、一部難民は戦渦を避けてエリトリアに戻っているらしい(エチオピアから追い出されたとの説も)。エリトリアに戻ったら制裁が待ってましょう。

両国は和平協定を結んだとは言え、なお微妙な関係にあります。

 

 

 

 

中央赤線内がティグレ。エリトリアの首都アスマラ(ኣስመራ)はエリトリアの文字の下。

 

 

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