松沢呉一のビバノン・ライフ

人間は自分が大好き—男の名前・女の名前[11]-(松沢呉一)

意識が無意識に勝つ時・無意識が意識に勝つ時—男の名前・女の名前[10]」の続きです。

 

 

 

嗅覚の単純接触効果

 

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嗅覚の単純接触効果はどんなもんかと思って検索したら阿部恒之、庄司耀、菊地史倫「嗅覚の単純接触効果 ─ジャスミン・ローズの睡眠中呈示─」が出て来ました。東北大学での実験です。

過去の実験によると、嗅覚では「中心化傾向」というのが起きるらしい。単純接触効果は原則一方向に出るものだと思うのですが、ニオイの場合は少し違って、いいニオイも悪いニオイも「快・不快」の軸において平均化するのです。メチャいいニオイはまあまあいいニオイといった程度になり、メチャ不快なニオイはまあまあ不快なニオイになる。いい方向でも悪い方向でも刺激がなくなるわけです。

短期では鼻が慣れてしまうので、こういうことが起きることが理解しやすいわけですが、それを避けるようにしてもそういう現象が起きるということのようです。

対してこの実験では寝ている間にニオイを漂わせて、その後、快と感じる度合いの変化を調べたもので、ニオイの種類によって違う結果が出ています。なんでだべな。

ニオイの場合は簡単に実験しようとすると、本人に好きかどうかを聞くことになるため、意識できる回答になってしまって、無意識を拾えない可能性があることに関係しているんかな。

なぜ私は嗅覚が気になったのかというと、スカトロ・パーティやスカトロ・イベントはニオイが耐え難いわけです。この場合も少しは鼻が鈍感になるのですが、「少しは」です。

人はしばしば自分のニオイには耐性があって、自分のウンコのニオイは平気で、オナラのニオイも体臭も平気。時には安心するニオイにもなります。スカトロ・パーティでも自分でウンコしちゃえば自分のニオイが混じって、全体が自分のニオイと錯覚できて寛容になれるのかもしれないと思ったのですが、今のところ、ウンコのニオイについては実験はなされていないようです。

私の疑問を確かめるための実験は単純接触効果の実験であるとともに潜在的エゴティズムの実験です。

 

 

単純接触効果と潜在的エゴティズムの関係

 

vivanon_sentence単純接触効果の説明が長くなりました。実験によっては「未知の刺激にたんに慣れて受け入れられるようになっただけとちゃうんか」と思えるものもあって、慣れによって受け入れられるようになることと、単純接触効果は同じなのか違うのかもよくわからないのですが、そこは深く突っ込まないでおきます。

なぜこんな現象が起きるのかはなお議論があって、確定はしていないようですが、「快・不快」と人間の感覚を大雑把に分類した時に、生物は未知のものに警戒心(不快)を抱くのは無理からぬことではあります。

しかし、「見てはいけない」と言われれば見たくなり、「やってはいけない」と言われればやりたくなるのも人間であって、「寝てはいけない」と言われれば寝るのです。これは時に危険なことでもあるのですが、人間の好奇心は危険なものにも向かいます。保守的な無意識と冒険好きな意識のバトル。

いわばその異常性があったから、犠牲を出しつつも、人類はこれだけ進化したとも言えます。ライアル・ワトソンもそんなことを言うとりました。

この単純接触効果と潜在的エゴティズムとは別のものとしてとらえている研究者もいますし、単純接触効果を拡大することで潜在的エゴティズムを説明できると考えている研究者もいるようです。

昨日今日覚えたばかりの潜在的エゴティズムについて私が判断できるはずがないですが、どちらも同じ脳の機能、あるいは心理の作用によるものであり、出方が違うだけのような感触が私にはあります。

しかし、言語的には別のものとして扱った方が理解しやすいので、ここでは別物としておきます。

 

 

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