松沢呉一のビバノン・ライフ

「男らしさ」「女らしさ」を名前が取り込んでいく仕組み—男の名前・女の名前[15]-(松沢呉一)

小池百合子が好きなじいちゃんとそれをためなめるじいちゃん—男の名前・女の名前[14]」の続きです。

 

 

 

「話のきっかけ」が産まれました

 

vivanon_sentenceお知らせってわけでもないのですが、このシリーズのきっかけになった知人の子どもは無事産まれました。名前は当初の予定通りだそうです。このあとさらに説明していくように、いい名前だと思います。

人んちの子どもの名前について聞いただけで、なぜここまで名前にこだわることになったのかと言えば、生まれてすぐに「女らしさ」「男らしさ」を親や社会が押しつけてくる顕著な例にもかかわらず、それに対して多くの人が無自覚であることに気づいたためであり、その無自覚さが自分の中にもあったことに気づいたからです。

ここまで私は「名前なんてどうでもいい」と思ってました。どうせ現実によって名前に付着するイメージは変わるんですから。

しかし、どうもそうは割切れないことがわかってきます。この重要性を示唆する研究が「潜在的エゴティズム」というキーワードによって、ここ10年20年という単位で急速に進んでいます。なお進行中の研究であり、結論が出ているわけではないだけに、先々のことを考えてしまいます。

実は先々のことを考え過ぎて収拾がつかなくなってまして、調べなければならないことも膨大にあって、「検索して読む」「検索して読む」を繰り返しているうちに一日が終わり、その上、ここしばらくはカタルーニャに夢中で、間が空いてしまいましたが、その知人はこのシリーズを読んで、続きを読みたがっているので、ちょっとずつ進めていきます。

※欧州ジェンダー平等研究所(EIGE/The European Institute for Gender Equality)が命名規則(Naming conventions)のガイドラインを出していて、「そこまで踏み込んだか」と勘違いしてしまいました。個人の命名ではなく、「ミスター/ミズ」のように平等の敬称を使うべしという内容でした。名前は「私は何者であるのか」を表示するものであり(今なお地域によっては家系、家柄、出身地までを表示し、さらに多くの地域では男女を表示する)、「自分が何者であり、どう扱って欲しいか」を表示することと、「第三者がどう扱うのか」は別次元の話ではあり、なおかつ本名についてはすぐさま個人が改訂できることでもないですが、「命名規則」としながら、個人の名前についての論及がないことには疑問がなくはない。

 

 

名前はもっとも自分に影響を与える「他者」

 

vivanon_sentence今のところ、調査や実験でわかっているのは、名前によって人は好感を抱く対象が規定されることであり、それが物を購入すること、パートナーを選択することにまで影響する。時には住む場所を決定することにも影響する。

その先はなお調査や実験による根拠が提示されていないだけで、人は自分の生き方までを名前に規定されている(部分がある)可能性を否定できない。

前回見たように、投票行動は環境に左右される部分があることを数字が明らかにしています。家族、同僚、友人、隣人の影響を受ける。直接に「誰々に投票して」と依頼されるようなことはもちろんのこと、「私は誰々に投票する」という意思表示でも他に影響を及ぼす。意識上だけでなく、無意識にもそれがなされます。

近所に熱心な創価学会の信者がいるだけで、家の壁に貼り出された公明党のポスターを繰り返し目にすることになって、その影響を受ける人もいるでしょう。私は断じて影響を受けていないと思っていますが、無意識下でどうなっているのかは私にはわからず、「単純接触効果」から言えば、ああいったポスターにも大いに意味があるのです。

 

 

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