松沢呉一のビバノン・ライフ

自殺に関する説得力のない論が流布していることを憂慮する—サイレント・エピデミック[1]-(松沢呉一)

当初このシリーズは「緊急事態宣言に抗する」シリーズに入れていたのですが、長くなったので独立させました。サイレント・エピデミックについては男の方が圧倒的に自殺が多い現実を無視する人たちには女の自殺率の増加を説明できない—サイレント・エピデミック[4]」を参照のこと。

 

 

自殺についてはまだほとんどわからない

 

vivanon_sentenceコロナ禍の自殺については現段階ではあまり書けることがないという話をさんざんここまで書いてきました(笑)。

新年早々自殺の話—2021年の抱負(なんて立派なものはもうないけれど)[3]」「新年早々自殺の話が続く—2021年の抱負(なんて立派なものはもうないけれど)[4]」「新年早々自殺の話はいつまで続く—2021年の抱負(なんて立派なものはもうないけれど)[5]」「新年早々借金と自殺未遂の話—2021年の抱負(なんて立派なものはもうないけれど)[6]」「児童・生徒の自殺と不登校の増加—ポストコロナのプロテスト[121]」を参照のこと。

自殺する本人さえ自分がどうして自殺をするのかはっきりとわからないこともあります。どうして自信満々にそう断定できるのかというと、私自身、危なかったことがあるからです。

深夜目が覚めたら、不安や恐怖が体中を満たしていて、ジッとしていることもできない。こういう時に人は屋上から勢いで飛び降りてしまうのだろうなと思いました。

あとで人に教えられてわかったのですが、早朝覚醒というやつです。これで自殺する人がけっこういるらしい。遺書なんて書いている余裕はないし、誰に向けて何を書いていいのかもわからない。冷静に考えればそうなる理由はあるのですが、そうなっている時は理路整然とは語れない。

そういうものも含まれていますから、自殺未遂の人に話を少々聞いたところで全体像はとらえられない。

データが出揃ってから例年と比較して、「これだけ増えた」と初めて言えるようなものであり、これ以降のデータも必要になります。

その原因については、各国のデータまでを照らし合わせる以外にないし、それが出揃ったところでわかることには限りがある。という事情の説明をいっぱい書いていたわけです。

今現在でも、まだ各国のデータが出てないので、検索しても2020年の自殺者総数は日本しか出てこない。まだなんもわからんです。

よって、現段階で自殺率の増減を一喜一憂することにあまり意味はない。対策をとるためには意味がありますが、おかしな方向に行くと適切な対策もとれなくなります。

※2020年2月2日付け「NPR」 米国でも総数は発表されていないですが、狭いエリアでは自殺が増えているとの報告が多数なされています。この記事はラスベガスのある学区内で19人の生徒・学生が自殺していて、救急病院に搬送される自殺未遂者の数も2倍からそれ以上に増大しているとありますが、狭いエリアほど数字は大きく増減するので、これだけではなんとも。

 

 

拙速な自殺論は避けるべし

 

vivanon_sentence繰り返しになりますが、そもそも経済の停滞によって自殺が増加することは過去のデータから言ってほとんど確定していたわけで、だから経済を停滞させてまでウイルスをゼロにする発想は愚の骨頂であると私は主張していました。

しかし、健康だったら自殺してもよいとばかりにWHOの尻馬に乗って自殺者増大の方向に世界は動き出してしまったわけで、その段階で自殺が増えない方向を模索しなかった人たちがいまさら憂慮するようなポーズをしてんじゃねえという思いが拭えない。

とは言え、現にこうなってしまった以上、自殺について考えることはいいとしましょう。また、私自身がここまでやってきたように、「現段階ではこういう可能性もあるぞ」と仮説を立てることもいいとしましょう。個別の自殺例を取り上げて原因を探すこともあるでしょう。しかし、ある特定の理由を確定したかのように扱って全体を語り、自論に人の死を利用していくような姿勢は避けるべきだと思います。

 

 

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