松沢呉一のビバノン・ライフ

同じ国でも人種によって自殺率は大きく違う—サイレント・エピデミック[9]-(松沢呉一)

「女らしさ」が自殺を減らし、「男らしさ」が自殺を増やしていた(かも)—サイレント・エピデミック[8]」の続きです。

 

 

 

米国内人種別の自殺率の大きな差は何に起因するのか

 

vivanon_sentence前回、弱者と言われる層が必ずしも自殺率が高いわけではない仕組みを説明しました。高いこともあれば低いこともあります。同じ社会の中で、なぜ違いが出るのかをを解釈するための手がかりになる重要な数字を出しておきます。

以下のグラフは左が女性、右が男性。上からAI(アメリカン・インディアン)、アジアン、黒人、白人、ヒスパニック。

 

 

 

不思議じゃないですか? 同じ米国内でも、これだけ自殺率に差があります。しかも、アメリカン・インディアン以外は、白人より自殺死亡率が低いのです。いずれも白人の半分以下。「差別されている集団、数の少ない集団、貧困な集団は自殺が多い」とは言えない。どの集団も白人より少ないわけでもない。

どういう状態で人は自殺をし、なにがそれを抑制するのかを見極めるのに格好のサンプルであり、これについては多数の論文が出ています。

 

 

自殺観の文化差

 

vivanon_sentenceCultural Considerations in Adolescent Suicide Prevention and Psychosocial Treatmentは、メンタルヘルス・サービスがどのようにアプローチすべきかを目的にしたもので、それぞれの集団の特性を細かく分析していて、集団によって自殺率の差が生じる理由を自殺の観念、宗教、メンタルヘルス・サービスへのアプローチなどから説明しています。

この論文によると、東アジアでは、顔に泥を塗る行為を恥と感じて自殺の原因につながるとあります。親に恥をかかせた、所属する組織に恥をかかせたってことでしょう。

以前も指摘してますが、たしかに日本では集団を背景にして他人を非難する人たちがよくいます。「同じ県民として許せない」「同じ学校の出身者として許せない」「同じ日本人として許せない」「同じ女として許せない」など。そう言わなければならない事情が存在することもありましょうけど、たいていの場合、「私は許せない」でいいはず。「私」を主語にしないことに通じる表現です。属する集団が発想にこびりつく。

アジアでも、インド人になると、メンタルヘルスのケアサービスに世話になることに強い恥を感じるために、頼ることを極端に嫌う。これは他の論文に出ていたのですが、共同体の結束が強いため、共同体以外の存在に頼ることを恥とするためのようです。

アフリカの人々は自殺という観念が薄いので、自殺しようと考えること自体が少ないなど。

ここまで見てきたように、自殺未遂はとくに他者へのアピールの側面が強いため、自殺が嫌悪される文化圏やどうとも思われない文化圏では自殺未遂が減り、自殺が同情される文化圏では自殺未遂が増えるはずです。

そういった差がある上で、マイノリティグループ全般にメンタルヘルスサービスを活用しておらず、そこに対策すべき力点があるのですが、にもかかわらず自殺が低く抑えられているのです。

 

 

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