カタルーニャとバレンシアの音楽群[15]—ポストコロナのプロテスト[145]-(松沢呉一)
「カタルーニャとバレンシアの音楽群[14]—ポストコロナのプロテスト[144]」の続きです。
ロス・デ・マラス(los de marras)
ロス・デ・マラスは、7枚目のアルバムを出したところ。彼らはバレンシアのバンドですが、スペイン語です。
バルセロナの音楽シーンは狭いっちゃ狭いし、多くのミュージシャンはインディーズのリリースのために融通が利くってこともあってか、ここまで見てきたように、レコーディングやライブにゲストを呼んだり呼ばれたりが非常に盛んです。ヒップホップ系はどこでもそうですが、それ以外でも同じで、この点はチャルガにも近い。
ところが、ロス・デ・マラスはコラボが全然ない。スペイン語であることが象徴しているように、カタルーニャ独立反対派だったりして、仲間はずれになっているのでありましょうか。スペイン語のバンドは他にもいますので、これだけではわからないですが、独立反対派のバンドもいるはず。あれだけ独立派が熱狂的だと、排除されることもありそうです。
この曲は新型コロナがテーマなのですが、歌詞がまだ公開されてません。
コロナで亡くなったおばあちゃんが最後の挨拶をするために家に帰る話。アディオス。
明るいトーンですけど、切ない。感染防止のため、面会はできず、「訪問者はメッセージを瓶に入れて置いておく」ってところがこの話のポイントです。
でも、よく考えると、なんで時間が逆行して、コロナ前まで戻らなければならないんだろ。メッセージを受け取った娘さんはワケがわからんでしょ。
最後は娘婿がメッセージを読んでいるのだろうと思うのですが、そこに答えがあるのかと期待して自動翻訳したら、ただの別れの挨拶です。
単に死の床で、よかった時代を振り返っているだけか。
このバンドも社会派ってことになっているのですが、この曲もそうであるように、赤旗・黒旗的なアプローチではなく、もっと日常的な視点。
2010年の曲「revolucion」。
赤旗的なアプローチではないって説明しているのに、チャンネルのアイコンは槌鎌。やめれ。
ホームレスになってしまった男の悲しみや苛立ちを歌っていて、ここでの「革命」も具体的ではなくて、「もう革命でもやるっきゃない」ってニュアンスです。
これでバレンシア編は終了。
カンパニーア・エレクトリカ・ダルマ(Companyia Elèctrica Dharma)
歌詞がわからないものや、プロテストの要素がないもの、人的にもつながっていないミュージシャンはここまでカットしたわけですが、いくつか重要と思われるミュージシャンを付録で取り上げておきます。
バルセロナのジャズ、ロック、フュージョン、フォークなどを融合させたカンパニーア・エレクトリカ・ダルマは古い古い。その前身は1960年代にスタート。カンパニーア・エレクトリカ・ダルマになってからでも半世紀の歴史。
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