松沢呉一のビバノン・ライフ

「男女平等のパラドックス」と北欧における子どもの命名—男の名前・女の名前[18]-(松沢呉一)

性差を作り出してきたのは一人一人の選択—男の名前・女の名前[17]」の続きです。

 

 

男女平等のパラドックス

 

vivanon_sentence男女平等のパラドックス」(gender equality paradox)と言われる現象があります。とくに北欧が例に出されますが、議員の男女比、官僚の男女比などでは平等に近い数値を達成したと見なされる国々では、男女の不平等が改善されず、むしろ他のジャンルでは不均衡が強化されていく現象が見られます。

たとえば民間企業の役員の男女比や収入格差が縮まらず、男女平等指数で下位の国々より数値が低いこともあります。

北欧では科学、技術、数学の学位を取得している女性の割合が少ないという報告があります。この議論きっかけになった論文では、データに問題があって批判されたのですが、他の分野で同様の報告がなされていて、「男女平等のパラドックス」が存在することは間違いなさそうです。

わずかここ数年の話なので、「男女平等のパラドックス」はつねに普遍的に起きるものなのか、なぜそのようなことが起きるのかについては議論が続いていて結論は出ていないのですが、「男女平等のパラドックス」は男女平等の実現において重要なことを示唆します。

日本においては「男女差別意識をなお捨てられない頑固な男たちが社会にはたくさんいるから男女平等が実現されない」という一面的な理解で留まっていそうですが、そんな簡単な話ではないってことです。

※Gijsbert Stoet& David C. Geary「The gender equality paradox in STEM education」 英リーズ・ベケット大学(Leeds Beckett University)の研究者たちによる調査で、男女平等が進んでいるはずの北欧諸国よりも、男女平等指数が低いアルバニアやアルジェリアの方が科学、技術、工学、数学の学位を取得している女子が多いという結果が出たことを伝える記事。元の論文はこちら。修正されたようですが、この調査に不備がありました。

 

 

なぜ「男女平等のパラドックス」が起きるのか

 

vivanon_sentence「男女平等のパラドックス」に対するもっともわかりやすい説明としては、無理にどこかで平等を達成すると、他が手薄になるってことです。

政治家の男女比が男女平等の指針であるかのように扱われているため、そこに力を入れて、国家ぐるみで女性の人材を政界に送り込もうとすると、優秀な人材がその分野にとられてしまい、他ジャンルで人材不足が起きる。

政治家の数は知れているので、そんなことがあっさり起きるとは思えないですが、もっと狭い範囲で考えると理解できましょう。ある高校でサッカー部に力を入れて、運動能力の高い生徒をすべてサッカー部に入れると、他のスポーツ部が弱体化する。

この場合、サッカーの上手な生徒を青田買いして入学させるとか、運動能力の高い生徒を上からもっていくのではなく、サッカーをやりたい生徒の能力を適切に伸ばしていくなどの、手間のかかる環境作りが必要です。時間をかけないと他に皺寄せが行く。

丁寧に人材を増やしていく作業をやっていかないと、他で人材の枯渇が起きかねない。だから、議員の男女比を等しくするためには時間をかけなきゃダメだし、ある分野で数字的平等を達成するだけでは社会は変わらず、時に軋みを生じさせると私は言っています。

 

 

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