松沢呉一のビバノン・ライフ

全体の数字合わせより個人の意思の方が重要[上]—男の名前・女の名前[付録10]-(松沢呉一)

帆立味のポテトチップス—男の名前・女の名前[付録編9]」の続きです。

今回と次回は「性差を作り出してきたのは一人一人の選択—男の名前・女の名前[17]」に続けようと思って書いたものですが、名前についてはほとんど出てこず、死に体になったこのシリーズをともあれ早く終わらせたかったので外しました。でも、大事な話なので、最後に出しておきます。とはいえ、中身は今まで書いてきていることの繰り返しで、本当はここに書いているような私の考え方と、「男の名前・女の名前」で出てきた「単純接触効果」「潜在的エゴティテズム」あるいは「姓だけ呼称が判断にまで影響する仮説」のような無意識領域への影響をどう考えるかについての擦り合わせをしたいところですが、それをやるとまた長くなって終れないので、現状では個々人が意識して事実やデータに基づいて無意識を乗り越えるってことしか言えないです。結局は自分でひとつひとつ考えて判断するってことです。

 

 

屋外でマスクをしないのは私の判断

 

vivanon_sentence私が「単身で屋外を歩くだけならマスクはいらんだろ」と判断して実践しているのは私の意思です。誰の影響も受けていないと自身では思っています。「皆がしているから」「ジロジロ見られるから」といったように外部に判断基準がある人たちとは違いますが、その人たちはその人たちで自分の意思で外の基準に従っているのですから、好きにしたらええ。その判断は尊重します。

しかし、他人に合わせているだけのくせに、「マスクしろ」と必要のないところで他者に強いる人たち、あるいはそれに反発して、「マスクするな」と他者に強いる人たちはどっちも私の敵。

「自分自身の判断でマスクしない人」「周りに合わせてマスクをする人」は、自己の範囲で完結している点で同じグループ、他者に「マスクしろ」「マスクするな」と指図する人たちは、他者の判断に介入するという意味で同じグループ。

我が「マスク率調査」では、私と同じく屋外でマスクをしないのは50代以上の男に偏りがあります。ここ数日ちょっと変化してきていて、ノーマスク率は繁華街で5パーセントくらいで、わずかに増加傾向にあって、これは若い世代が多くなってきていることの影響ですが、マスクをしないのは男が多いことには変わりません。ちょっとは女のノーマスクが増えているかもしれないですが、男がざっと8割くらいです。100人カウントして、ノーマスクの女は1人いるかいないか。

50代60代という年齢は「世間体がなくなる」「他者の目を気にしなくなる」ということで説明がつくのですが、この意思には性差があって、こんなところにも男と女の違いが出るものです。

※2019年3月19日付「EUROPEAN DATE JOUNALISM NETWORK」 「サイレント・エピデミック」シリーズに出しそびれたものです。ヨーロッパ各国の投票率の男女差が出てますが、その中でもとくにフランスにスポットを当てたものです。つくづく投票行動の性差というテーマは面白い。かつ難しい。この性差は何かを表してはいて、その正体を知ることには大いに意義を感じますが、投票したい人がして、したくない人がしないだけですから、この性差もことさらに改善しようとする必要はないでしょう。投票率を上げるにしても男女問わず上げる対策をとればいいだけ。

 

 

個人主義的マスク不要論

 

vivanon_sentenceこのような意識しにくい性差は、個人に貼り付いている名前が多かれ少なかれ影響をしているのかもしれないと最近は思うようになってます。男は男で、女は女で。

その理由はともかく、現に存在するこの性差はとくに問題があるとは思いません。性別問わず、「周りを気にしてマスクをする」も「単身で屋外を歩くのにマスクをしない」も、それぞれにその考えを実行できればいい。

 

 

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