松沢呉一のビバノン・ライフ

姓だけで呼ぶ習慣が女の研究者や表現者を不利にしている可能性を示唆する実験—男の名前・女の名前[付録編8]-(松沢呉一)

姓名の省略で混乱が起きるケース—男の名前・女の名前[付録編7]」の続きです。

 

 

考えを変えざるを得なくなった

 

vivanon_sentenceここまで書いたのが、私が「名前をどう略すか」について考えてきた基準です。

これには歴史的評価の蓄積もあるので、どうしようもない部分があります。ダーウィンやエジソンをいまさらフルネームで呼べと言われましても。

また、名前のあとに権威ある肩書きがつく人たちは今も男が多いのだから、「姓だけ表記」になるのが男の方が多いのはその反映にすぎないとも思います。

そこに男女の差が生じているのだとしても、不都合がないなら、そのままでいい。たとえば夫が姓で、妻が名前で略される不均衡は、一概に「妻は添え物である」との表示になるとは言えず、「夫は家に縛られ、妻は個人として立っている」ととらえることだってできましょう。

と思ってきたのですが、前々回の記事が取り上げている論文Stav Atira,Melissa J. Fergusona「How gender determines the way we speak about professionals」にざっと目を通して、考え方を変えざるを得なくなりました。

私は説得力のある論を前にするとあっさり考えを変えます。

統計分析の部分を十分に理解するのは私には難しいですが、趣旨はだいたい納得し、なお確定はしていないにせよ、このテーマは検討する価値があると確信しました。

※あとで気づいたのですが、この論文については2018年7月22日付「WIRED」日本版が翻訳記事を出しています。論文を読むのが面倒な人はこちらをどうぞ。

 

 

調査部分についてはあまり意義を感じず

 

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この論文にも私が書いたような例が出ています。ビル・クリントンは「クリントン」。ヒラリー・クリントンはフルネーム。

大統領の名前は姓だけにするのが通例であり、ビル・クリントンは「クリントン」ですから、ファーストレディたるヒラリー・クリントンがクローズアップされるようになっても、混同を避けて「クリントン」とは略されない。

ヒラリー・クリントンが大統領になれば「クリントン」と呼ぶようになる可能性もあるとして、それでもかぶるのを避けて、「ヒラリー大統領」と呼ぶこともあるかもしれないけれど、もし先にヒラリー・クリントンが大統領になっていた場合に、「クリントン」と呼ばれるのかどうかがテーマです。

この論文ではラジオのニュース番組で実際にどう扱われているのかを調べて、姓だけで語られるのは女より男が2倍以上多いとの数字が出ています。単なる数ではなく、率の比較だと思われますが、だとしても、ちょっとひっかかるところです。

ラジオで登場した名前のうち、単なる「姓だけ呼称」をカウントすると、さまざまなフェイズのものが混在します。ニュース番組でも歴史上の人物が登場しましょうが、たとえばヘンリー・フォードは社名としてフォードが定着しているために、個人名でもフォードになりやすいように、そういった背景のある人々は今まで男が圧倒的に多かったことが反映されていそうです。

これ以外の調査も同じで、別フェイズの「姓だけ呼称」が入ってきている可能性があって、いずれにせよ、「それがどうした」ってことであって、ここまでは私はあまり意味のある調査だとは思えませんでした。この論文が画期的なのはこの先です。

※「How gender determines the way we speak about professionals」は「米国科学アカデミー紀要」に掲載されたもの。

 

 

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