松沢呉一のビバノン・ライフ

「解説」が採用している怪しい証言—V.E.フランクル著『夜と霧』[2]-(松沢呉一)

呆れるだけでは済まないひどすぎる本のつくり—V.E.フランクル著『夜と霧』[1]」の続きです。

 

 

本来「解説」が解説すべきだったこと

 

vivanon_sentenceヴィクトル・フランクルが収容されていたのはおもにアウシュヴィッツダッハウです。あくまでもこれは「本人が書いていることの印象からすると」であって、現実と照らすと大きく違うのですが、これについては最後にやります。

ダッハウではふたつのサテライトキャンプ(Außenlager)を移動していて、そこで解放されています。フランクルは「ダッハウの支所」という書き方をしているので、わかる人にはわかるわけですけど、わからん人にはわからんでしょう。ダッハウには多数のサテライトキャンプがあって、そのひとつの小規模な収容所であったことは説明しないとわからない。しかし、そんな説明は「解説」にはありません。

フランクルはどういうもんだか(推測はできますが)、いつからいつまでどこにいたのかはっきりしたことを書いていません。「解説」ってこういうことを説明するってもんじゃないですかね。本人に問い合わせれば「いつからいつまでどこにいたのか」くらいわかるんだから。

文中に登場するのは他にマウトハウゼンくらいですが(その名称が出てくるだけで、フランクルがそこにいたわけではない)、この解説ではベルゲンベルゼン(本書ではベルゲン)、ブーヘンヴァルト(本書ではブッヒェンワルト)、ノイエンガンメ(本書ではノイエンガム)、ラーフェンスブリュック(本書ではラヴェンスブリュック)が続きます。ドイツ語の原本から訳しているのに、どうしてしばしば英語読み、または英語読み+ドイツ語読みなのかは不明。

※アラン・レネ監督「夜と霧」よりアウシュヴィッツ強制収容所

 

 

なぜ収容者たちはダッハウに移送されることを喜んだのか

 

vivanon_sentenceそれぞれ重要な収容所であり、「ビバノン」でも繰り返し取り上げてきてましたけど、「解説」ではどれも残酷描写で埋められているため、違いがわかりません。そもそもこの本でもっとも重要なダッハウについては70ページの「解説」のうちの3ページに過ぎず、全編人体実験の話です。

フランクルらが移送されることになり、移送される貨車の中で、移送先がマウトハウゼンではなく、ダッハウであるとわかった時に一同小躍りをして歓喜したと書いています。その歓喜は「自ら味わった人でなければとうてい想像できないであろう」とフランクルが書く意味を「解説」ではまったく解説できていない。

オーストリアのマウトハウゼン強制収容所もドイツのダッハウ強制収容所も絶滅収容所ではなかったため、アウシュヴィッツに比べれば死ぬ確率が少しは下がります。アウシュヴィッツに来たのがいつなのかもわからないのですが、時期によってはアウシュヴィッツに来た瞬間にほとんど死は確定。どこでも栄養失調や病気で亡くなるのは多かったし、労働現場での事故死もありました。歯向かえば処刑は免れないにせよ、虐殺のための絶滅収容所と一般の収容所とはやはり違う。

その中でマウトハウゼンは再教育施設という強制収容所の建前の中でももっともランクが低い第三カテゴリーの収容所でした。つまり、更正不能の政治犯らが送られる場所であったため、苛酷な環境にありました。第一カテゴリーのダッハウの方がまだまし。

現実に、フランクルが生き延びることができたのは、ダッハウのサテライトだったことが大きく影響している可能性が高いのですから、ここの解説は必須だったかと思います。

※アラン・レネ監督「夜と霧」よりアウシュヴィッツ強制収容所正門

 

 

創作と思われる記述

 

vivanon_sentence

必要だったはずの内容がない「解説」であるばかりか、相当に怪しい記述が出てきます。

収容所内の自殺ついて「解説」はこう書いています。

 

 

アウシュヴィッツで働いていた或る親衛隊員は次のような記述をしている。

ここに来て数日たつと、自殺を計(ママ)る者が大勢いた。そのため労働隊となって外出した際に、彼らは射殺されんがために歩哨の囲みを走り抜けようとしたが、このような行為は収容所の隠語では「鉄条網に行く」と呼ばれていた。こうすれば高圧電流のショックか機関銃の炸裂による死が、捕えられて受ける拷問の苦しみを救ってくれるのであった。夜間、機関銃の音が聞こえる時には誰もが、絶望によってまた一人の人間が鉄条網へと追いやられ、その男は今やぼろきれに包まれただけで、いわゆる中立地帯に生命のない一つの塊になって横たわっている——ということを悟るのだった。この中立地帯というのは、鉄条網の内部に沿って走っている砂利まじりの二メートル幅の一帯であり、ここに足を踏み入れた者には、誰であろうとも銃弾が浴びせられた。

その他自分のベルトで首を吊り、寝台の脇で朝になって発見される者もあった。このような場合には、プロックの秩序に責任のある囚人が、自殺者の数を収容所司令官に報告することになっていた。

 

 

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