松沢呉一のビバノン・ライフ

『夜と霧』にも読むべきところはある—V.E.フランクル著『夜と霧』[付録編1]-(松沢呉一)

「付録編」になってますが、「ひとたび拡散されたウソは訂正することが難しい—V.E.フランクル著『夜と霧』[6](最終回)」からストレートに続いてます。

 

 

 

『夜と霧』を読むなら新版、心理学的アプローチなら『強制収容所における人間行動』

 

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夜と霧』は「読む価値なし」のカテゴリーに入れるようなものではありません。読むべき点はあります。私はこれ以上の興味はないので、新訳を読もうとは思わないですが、読むんだったら新版の方がいいと思います。なにかにつけ旧版ほどはひどくないでしょうから。

旧版は訳もよくない。存在しない子どもを捏造して殺されたことにするような翻訳家がいい翻訳ができるはずがないなんて言わないですが、サイテーの人間、かつ翻訳もひどいってことです。

古いもんをよく読んでいるので、言葉遣いが古臭いことはなんとも思わないですが、個人の好き嫌いを越えて、日本語として悪文だと思います。そういう癖の人はいますけど、何ページにもわたって文末が「〜である」でほぼ統一されている文章は日本語として悪文と言っていいでしょう(とくに第八章、第九章)。

当時は日本語の表記がまだ統一されていなかったため、仕方がない部分もあるのですけど、ドイツ語の日本語表記がドイツ語読み、英語読みのチャンポンであることやカポが「カポー」になっているなど、気になる表記もあります。長音にするか否かは人それぞれですから、間違っているとはまで言えないですけど、KAPOは英語でもドイツ語でもはっきりとは伸ばさない。元はイタリア語の「頭」の意味とも言われますが、イタリア語だと「カーポ」に近い。

新版は、解説や図版も旧版まんまってことはないのではなかろうか。

しかし、収容所という極限に置かれた人間の心理についてはE.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』の方が詳細かつ客観的であり、その点の関心で読むならあちらを勧めます。おそらくさらに優れた本もあるでしょう。

強制収容所における人間行動』の中で私が注目した「ユーモアがいかに重要な役割を果たしたのか」についてはフランクルも繰り返していて、ユーモアのある会話ができることが生き延びる知恵と考えていたフランクルは、収容者の仲間にユーモアの訓練をする体験まで書いています(この仲間は「工場で働いていた同僚の後輩の外科医」ということですが、偽医師が横行するくらいに医者が不足していたのに、フランクルにせよ、この同僚にせよ、なぜ名乗り出なかったのでしょう。特恵収容者になるのがイヤなら特別待遇を拒否すればいいだけですし。ちょっとここはひっかからないではない)。

池田香代子訳による新版。内容もオリジナルの改訂版を踏まえているので大きく違うようですよ。

 

 

娯楽や文化の必要性

 

vivanon_sentence強制収容所における人間行動』と重複する内容として、タバコや酒の効用についてもフランクルは強調していますし、たまに開かれた演芸会の重要性についても書いています。それに参加するためにスープの配給を逃しても収容者たちは行きたがる。つまりはそれによって命が縮まったとしても、娯楽を必要とする(人たちがいる)のです。

アウシュヴィッツ強制収容所であればオーケストラの存在に触れてもよさそうですが、これは出てきません。フランクルはオーケストラをおそらく見ていないからですし、その存在を知らなかったかもしれない。滞在3日ですから。ダッハウのメインキャンプにもオーケストラはあったかもしれないですが、フランクルがいたのは小さなサテライトキャンプです。

さらに、小規模なものであり、収容所一般にあったことではないでしょうが、オカルトの集まりもあって、ここには衛生下士官も参加して降霊術会が開かれたと書かれています。フランクルは一度呼ばれただけで、このサークルのメンバーではなく、その内容についても否定的ですが、これもまた収容所内での重要な娯楽であり、文化でした。

 

 

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