松沢呉一のビバノン・ライフ

『国際ユダヤ人』+『我が闘争』+ドイツ女子同盟をつなぐ線—バルドゥール・フォン・シーラッハに見る依存的思考[3]-(松沢呉一)

ヒトラー・ユーゲントの末路—パルドゥール・フォン・シーラッハの依存的思考[2]」の続きです。

 

 

シーラッハはなぜヒトラーに心酔したのか

 

vivanon_sentenceニュルンベルク裁判で懲役20年となったシーラッハは冷静な判断ができそうな人物で、母親は米人とあって、ドイツ民族べったりではない視点を持ち得たはずだったにもかかわらず、なんでヘンリー・フォード著『国際ユダヤ人』(The International Jew)で一夜にして反ユダヤとなり、ヒトラーの『我が闘争』を読んでヒトラーに心酔したのか不思議です。

さすがに全文ではないでしょうが、『我が闘争』を暗誦するくらいに読み込んでいたらしい。あの本を読んだ人は少なくて、むしろ読んだ人は反ヒトラーになっていった例が多いのに。

ニュルンベルク裁判でヒトラーやナチスを否定する発言を読んでも、その思いは強くなります。「なぜこの人が」と。

彼がナチスの中で若くして頭角を現した事情はわかりやすくて、有象無象の寄せ集めだったナチスの中では貴族階級出身でバランスがとれている彼の存在にヒトラーが目をつけたためであり、指導者不足の中では活躍の場があったためですが、そういう人間がなぜヒトラーに熱狂したのかいよいよ不思議です。

※ディズニー映画「Education for Death」(1943)より。ディズニーによるプロパガンダ映画。ヒトラー・ユーゲントに限らず、ナチスの教育を描いており、「死のための教育」は他者に死をもたらしただけでなく、自身を死に追いやるという結末は正しかったのです。

 

 

ドイツ女子同盟とシーラッハ

 

vivanon_sentence原田一美著『ナチ独裁下の子どもたち―ヒトラー・ユーゲント体制』に「そういえばそうだ」と深く納得する指摘がなされていました。

シーラッハはいくらかはリベラルな思想をナチスに持ち込んだところがあって、ヒトラー・ユーゲントの女子版であるドイツ女子同盟に対するシーラッハの考え方は男女平等に基づくものであり、ナチス一般の「母性こそ女の役割」という考え方(日本で言えば山田わかや平塚らいてうら主流派の婦人運動家の考えに通じる。今のフェミニストもたいていそうか)とは一線を画して、男女の違いは存在しないという考え方を貫いて、女子にもスポーツを推奨しました。

シーラッハの男女観はスカンジナビア=ドイツ型婦人運動ではなく、英米型婦人運動のそれです。

制度としてはドイツ女子同盟はヒトラー・ユーゲントと対等ではなく、ヒトラー・ユーゲントの下部組織というべき位置づけですし、「私」を消して集団に埋没するのがナチスの理想でしたから、スポーツを通じて女子にもその考えを徹底させることが目的だったに過ぎないのですが、母性重視の国家社会主義女性同盟などからの批判もされています。「女がスポーツをやるとは何事か」と。言外には母性保護派からの「女はセックスして子どもを産みさえすればいいのだ」というメッセージが込められてます。

Bund Deutscher Mädel 着色しました

 

 

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