松沢呉一のビバノン・ライフ

ナチスとドイツ共産党の共通点—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[4]-(松沢呉一)

個人主義を貫いたコメディアン、ヴェルナー・フィンク—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[3]」の続きです。

 

 

 

ナチスとドイツ共産党の共通点とそれに対峙する個人主義者

 

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ヴェルナー・フィンクが個人主義を貫いたことでナチスに対する抵抗になり、強制収容所に送られたことはスウィングスに通じます。

そして、セバスチャン・ハフナーもまた個人主義者であることを『ナチスとのわが闘争』に書いています。「どちらかといえば自分は右であると自認している」と書き、「保守的な個人主義者である」との記述もあって、「どちらかといえば右の、保守的な個人主義者」というのがよくわからないのですが、たしかに書いていることには個人主義が滲み、だからこそ私はこの本に強く共感したのです。

個人主義についてはさんざん書いてきているので、「ビバノン」読者には説明不要でしょうが、以下のくだりは個人主義がどういうものであるのかわかりやすいので、紹介しておきます。

裁判所がナチスに支配されるまで、司法官試補たちによる勉強会がなされています。この勉強会は政治姿勢を問わない集まりでしたから、さまざまな思想が交じり合っています。

司法官試補による勉強会メンバーについての記述。

 

 

たとえば最も「左寄り」なのはヘッセルだった。彼は医者の息子で、共産主義に傾倒していた。最も「右寄り」なのは、ホルツだった。彼は将校の息子で、軍国主義的、国家主義的な考えをする男だった。しかし両者はしばしはまた、私たち他の者に対して共同の戦線を張りもした。というのは、両者はどこかの「青年運動」の出身であり、「結社的」な考え方をし、反ブルジョア的かつ反個人主義的だったからだ。両者が思い描いていた理念は「共同体」や「共同体精神」であった。両者を真に憤慨させるものは、ジャズと流行紹介雑誌と「クーアフェルステンダム」(ベルリンの繁華街)、要するに浅はかな金儲けと金遣いの世界だった。

 

 

カッコ内の「ベルリンの繁華街」という説明も原文ママです。クーアフェルステンダム、通称クーダム(Ku’damm)は1920年代初頭に作られた通りの名前で、百貨店や飲食店、ブティックなどが並び、買い物客やデートをするカップルで賑わい、この周辺には映画館や劇場などの文化施設も多く、ジャズを演奏するキャバレーもありました。

ここには百貨店を筆頭にユダヤ資本の店が多く集まり、ユダヤ人の富裕層はこの周辺に住んでクーダムで買い物をするため、ナチスはこの街を目の敵にし、1931年には突撃隊が「ユダヤ人を殺せ」とデモをやり、彼らがユダヤ人と見なした者たちを暴行する事件も起きています。

また、共産党もユダヤ人の資本家を嫌いましたから、共産党員もまたクーダムを目の敵にしました。ナチスも共産党員もそういうものが大嫌い。民族主義か国際主義かは決定的に違うとして、あとは似たようなものなんだから、仲良くすればよさそうなものですが、一党独裁で必要な党はひとつだけ。

共産党支持者があっさりナチス支持に転向していったのは、さほど不思議ではなく、国民の多くもまたヴァイマル時代にクーダムやキャバレーに代表される浅はかな文化が花開いたことに眉をひそめていて、だから勤勉、清潔、健康なイメージのナチスの登場を歓迎しました。

不真面目、不潔、不健康なものは不要。それらの商業や文化の背景にいるユダヤ人も不要。

これら右翼・左翼の軸と対抗する著者たちは個人主義という点で合致していて、こちらのグループは酒をよく飲み合っていて、対してヘッセルは酒を飲まず、酒に反対もしていて、ホルツもまた酒はあまり飲まなかったそうです。

この会は私的領域の活動だったわけですが、ホルツはナチスに批判的な著者に「ゲシュタポに密告することも考えている」と言い出し、会は解散し、ホルツはその後ナチスの幹部になり、ヘッセルは国外に脱出。

Kurfürstendamm, Berlin, in 1931 ヴァイマル共和国時代のクーダム。着色しました

 

 

個人主義者が反ナチス・反スターリニズムなのは当然

 

vivanon_sentenceこのエピソードを読むと、共産主義とナチズムの中間にいるのが個人主義者ではなく、その両者と違う軸に存在するのが個人主義者であることがよくわかりましょう。ナチスと共産党は全体主義・権威主義というフレームの中で対立していて、その軸自体に対抗するのが個人主義。

感染リスクのない環境で「マスクしろ」と言う人も、感染リスクのある環境で「マスクするな」という人もどっちも私の敵と言ってきたのと同じです。ひとつひとつ状況を見極めて個人が決定したらええ。個人が考え、個人が判断することを許さないのは全体主義。

たしかに一律にした方が規制がしやすい。中国がその手本。これがいいと思う人たちは、国民の質も一律にして、劣等民族も同性愛者も障害者もいない社会をいい社会と思うんでしょうね。

セバスチャン・ハフナーは戦後「自分は反共産主義者だ」と言ってます。この本の中では、愛国少年だった子どもの頃にローザ・ルクセンブルクやスパルタクス団を嫌っていたと書いています。

その時の延長ではなくて、自由を愛する個人主義者にとってはナチスも共産党も同類であり、ナチスが消えたあとはもうひとつの敵に絞るのは当然でしょう。「反共」というと右翼っぽいですが、個人主義者はおおむね反共産主義にならざるを得ないかと思います。

私も反ナチス、反スターリニズム、反中国共産党です。つまりは個人主義者にとって全体主義はおしなべて敵。

 

 

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