4年ぶりの問い—麻生太郎の「女性ですよ女性」発言のどこが問題なのか誰か教えて[上]-(松沢呉一)
書いたことさえ覚えてなかった4年前のボツ記事です。なんでボツにしたのかも覚えてない。読んでいただければわかるように、これは麻生太郎を批判している人たちへの疑問ですが、結果として麻生太郎を擁護しているように見えるために出す気にならなかったのか。しかし、そういう判断はよくない。ゲッベルスに関するものであっても、デマはデマとして否定するランドール・バイトワーク先生の姿勢に学びたい。当たり前のことを当たり前にやっているだけですけどね。
もうひとつあり得るのは「もとの発言の真意がわからないので、どこをどうしていいのかもわからない」ってことか。今も真意はわからず、復活させる意味がないようにも思うのですが、麻生太郎発言そのものよりも、今になって読んだ記事がひどくて、ちょうど先日復活させたボツ記事とリンクしていたため、そちらを批判しておきたく、もとになったこっちの話から出しておきます。本題は次回です。
「あれ女性ですよ女性」という発言
豊田真由子ファンの私ですから、まゆたんネタには食いつきやすいのですが、麻生太郎の「あれ女性ですよ女性」という発言については食いつけませんでした。言葉の意味や意図がわからないのです。私に文章読解力がないのか? 文章読解力のある方々に、どこがどうして差別になるのかぜひ教えていただきたい。
2017年6月24日付「ハフポスト」
これらの記事でも、どういう意味の発言かの説明がないまま問題にしています。どういうこと?
ただただ驚いたという表現でしかない
もとは共同通信の配信らしいのですが、「119人も新人がいるといろいろあるんですね。東京大学とかハーバード、厚生労働省とか学歴だけ聞いたら、非のつけようのないほど立派だったけど、あれ女性ですよ、女性。ねぇ、暴力で秘書を、あれ男と書き間違えているんじゃないか、本当は」と言ったとのことです。上のふたつの記事ではここからさらに言葉を切り取って、意味をわからなくしていることに悪意を感じます。
「男と書き間違えているんじゃないか」という言葉は、「報道を読んで、誰か他の男(の議員)と書き間違えたのではないかと思うほどだった」という意味だと思われます。「男の議員だったらいい」というニュアンスは感じられず、ただただ驚きの表明です。
驚いただけで性差別になるはずがないですが、あえてその先を推測すると、「何に比較して驚いたのか」によって、さらにふたつの解釈がありえます。
1)麻生太郎個人の信念に照らして
2)現実に照らして
差別だと言っている人たちは1だと決めつけているようです。「女はおしとやかでいなければならない。なのに」という意味です。
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