松沢呉一のビバノン・ライフ

新しい女と女学校の対立、そして今も日本を支配する良妻賢母主義—女言葉の一世紀[ボツ編]-(松沢呉一)

ボツ復活シリーズです。

婦人参政権に反対した棚橋絢子・東京高等女学校校長—女言葉の一世紀 110」の続きとして書きながら、東京高等女学校(現・東京女子学園)創設者である棚橋絢子についてそこまで長く書くこともないだろうと思ってボツにしたのだと思います。あるいはくだらない良妻賢母教育家の話を終わらせて、この先に出てくる森律子の話を早く始めたかったのか。

もしかすると、この内容の一部は他に転用しているかもしれませんが、気にしないでください。

それにつけてもこんな地味な話をよくもまあ続けたものです。実際、読む人はほとんどいなかったですし。おかげで、頭に糞が詰まったタイプのフェミニストが「矯風会をフェミニズム団体だ」なんて言い出しても、すぐさまその間違いを指摘できますし、金子恵美の公用車問題で明らかになったのは良妻賢母主義の強さであることも見抜けます

だから、フェミニストを自称する人たちは歴史を学ぶべきであり、エロライターの私程度にも歴史を知らないのはまずいと再三言ってきましたが、もう諦めました。無理だわ。どうして無理なのかを説明した文章も以前書いたのですが、これもボツにしました。虚しすぎて、これは復活させる気にもならない。

 

 

「新しい女」は女学校の敵に

 

vivanon_sentenceかくして、恋愛を美化し、恋愛とセックスと結婚が合致していることを理想とした「新しい女」たちと女学校は対立していきます。

扇谷亮著『娘問題』(明治四五年)は「青鞜」が創刊された翌年のものですから、棚橋絢子ははっきりとその存在を意識していたのかどうかはわからないですけど、「青鞜」は相当に話題になっていたので、すでに敵視していたのではなかろうか。

女は結婚するのが幸せなのだという考え方を「新しい女」たちも否定はしておらず、それを成立させるのが恋愛だとした点が、旧来の良妻賢母とは違うわけですけど、恋愛とセックスが合致しているのが理想ということは、結婚を経ずしても理想は成立するはずです。「霊肉一致」は結婚の条件には留まらない。これを根拠に女をくどく男がいたのは「霊肉一致」の考えを正しく理解しています。

結婚するまでは処女でいて、女の性欲は夫婦間のみで果たすべきという伝統派からすると我慢ならないものだったでしょう。

「恋愛」の二文字を信仰するのは、どちらかと言えば教養のある層です。教養なき層は、そんなもんがなくてもセックスをするのだし、あるいは抵抗することもできずに親の決めた結婚をするしかない。棚橋絢子の言う「やや才学ある者」、つまり女学生のような者たちこそが堕落するのは知恵をつけたからです。

その知恵は「恋愛」の二文字によるのだから、棚橋絢子はその言葉の使用を禁じるべきだと主張。この飛躍がすごいところ。

東京女子学園のサイトより

 

 

離婚の自由を掲げた「新しい女」はいたのか?

 

vivanon_sentence棚橋絢子は著書『女らしく』で、女が男の真似をすることは「梅の木が松の木を真似るやうなもの」と書いています。エレン・ケイが「家庭内の仕事に向く母性を持つ女がその能力を外に向けるのは、ベートベンやワグナーが機関士をするのと同じように悲しむべきことだ」と書いていたことにも通じます。

この部分において、エレン・ケイの思想は日本的な婦人論にも合致するものでした。女流教育家たちに受け入れられなかったのは「霊肉一致」です。婦人活動家たちの多くは結婚制度を否定するわけではなく、その中で「霊肉一致」を実現しようとしました。

となると、旧来の良妻賢母の考え方と、「新しい女」の考え方の差は、恋愛を評価するのかどうかの一点です。良妻賢母派からすると、「恋愛」こそが女学生を堕落させた元凶であると主張して、その排斥を求めました。

私がエレン・ケイを評価するのは、離婚の自由を掲げたことですが、ここは婦人活動家たちも受け入れられなかったところです。しかし、極一部ではあれ、これも取り入れた人たちもいたのかもしれない。

棚橋絢子は『女らしく』に収録された「新しき女の矛盾」と題した文章でこう書いています。

 

 

新しき女の人々が演説をした中に「自分は家庭を持つけれども、之は自分の居りたいと思ふ間だけ居るので、否になったら出て行くばかりである。夫れも面白くないと感じたら分かれるがよい。双方の都合で何うでもなるのである。又結婚は何度しやうとも差支えない」と云ふ様などを話されたと聞きました。之を肉の解放とか云ふさうでありますが、これでは全く夫婦とか家庭とかを眼中に置くのでなく、自分の勝手で何でもするといふのであるから、之では自ら家庭を破り、自らをも破るものと云わねばなりません。新しいというても、在来の美風を棄てるの必要はない。改むべきは従来の短所であります、弊害であります。徒に自由呼はりをし、新奇を衒うて男子の向ふを張るといふが如きは、大に慎まねばなりませぬ。

 

 

 

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