昭和の女心を歌いあげた演歌の名曲「おひつの女」—4年前にボツにした話-(松沢呉一)
ボツ復活シーズです。クオータ制について書いていた時にボツにしたものがありました。テーマから外れすぎるのでボツにしたのだと思います。フェミ的正義だと思ってTwitterに書いたことが、演歌の女心に過ぎなかったって話です。「辛い辛い」と言っていれば誰かが助けてくれると信じている様は「女子供バイアス」にも通じます。
勘定書きを誰に渡すか
たとえば私がこんなことを書くとしましょう。
20代の女性編集者とメシを食べながら打ち合わせをした。彼女が「お会計お願いします」と言ったら、店員が伝票を持って来たのだが、私に渡すではないか。あの店員は、男と女が食事をした場合、つねに年配の男が払うものだと思って疑っていないのだ。これは画一的なジェンダー・イメージで決めつけるセクシズムであり、年上が金を払うのを当然とするエイジズムでもある。二度とあの店に私は行かない。
バカと言われましょうね。私もこんな人がいたらバカと言います。
「受け取った伝票を彼女に渡せばいいだけだろ。2秒で済むことじゃないか」「事前に相手が勘定を払うことの約束ができていないんだったら、“これは経費?”と編集者に聞いて、経費だったら渡せばいい。自分の都合による打ち合わせだったら自分が払えばいい。経費が出ないなら仕事であっても割り勘にすればいい」「もし自分で渡すのがイヤだったら、“伝票はあちらに”と店員に言えばいい」「現実に50代の男と20代の女が食事をした場合、男が払うことが多いのだから、渡し直す手間を省くには、多いケースに合わせるのは当然」といった批判をされそうです。
実際にこういうケースはよくあって、経費で落ちることがわかれば「よろしく」と言って彼女に伝票を渡すし、その前に彼女が「こっちにください」と店員に言うことが多いでしょう。それで話は終わっているのに、ことさらセクシズムだの、エイジズムだのと言い出すのはバカです。
大人数で飲み会をする場合も同じ。「幹事さんはどなたですか」と聞く店員もいますが、もっとも年齢が高いと思われる人に伝票を渡そうとする店員もいます。私が渡されたら、頭数で割って「1人3,000円ね」と皆に伝えて徴収するか、幹事がいるなら幹事に渡す。あるいは、「幹事はあの人だからあの人に渡して」と店員にお願いします。
誰かがまとめなければならず、たまたま伝票を渡されたのが私なら私がやるし、適切な人が他にいれば他の人にやらせるだけ。店員にはなんの問題もなし。
もっとも年齢の高い人が一括で払う文化圏においては、もっとも年齢の高い人に伝票を渡すのがもっとも無駄がない。かつては日本でもおそらくそうだったはずです(割り勘は近代になって広く拡大し、今ほど定着するようになったのはおそらく戦後)。
しかし、今は年齢は無関係で割り勘にすることが多いため、店員が「お会計はどちらに」と聞いてくることも増えていますし、伝票は人ではなく、テーブルの所定の位置に置く店も増えてます。現実に合わせて対応が変化しているわけです。
※2010年7月30日付「発言小町」 女性でも伝票を渡されることが多い人がいるようです。それを疑問に感じているだけなので、ここまではいいでしょう。
簡単に解決できる問題を解決しないで、「辛い、辛い」と言い続ける昭和の女心を歌った演歌かよ
なんでこんな話をしたのかと言えば、以下の話。
気の利いたことを書いたつもりなんだべな。女性を含めて批判している人たちもたくさんいるのが救いですけど、同意している人たちもたくさんいるのが気味悪い。
ここで見抜くべきなのは、ふたつの思い込みがここには存在していることです。
ひとつは仲居さんの「ごはんを茶碗によそうのは女である」という思い込みです。ガッツリ食いそうな方に置いている可能性はここでは無視します。しかし、これは現にそうしているカップルが多い現実をなぞっているだけです。「あっちに置いて」と言われることが増えれば、「どちらに置きましょうか」と聞く仲居さんが増えるでしょう。
もうひとつは、このツイートをした人や共感をする人たちの中にある「女は意思表示もできないくらいにかよわい子どものような存在」という思い込みです。フェミニズム的に言えば「男社会に押しつけられた女らしさ」が内面化し、それを疑えないまま後生大事に守り続けています。
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