地図が読めない理由—男女別学肯定論を検討する[ボツ編]-(松沢呉一)
ボツ復活シリーズです。
「脳の性差を過剰に見積もることの危険—男女別学肯定論を検討する(3)」の続きとして書いてあったのですが、「「江戸しぐさ」を推奨する別学は無効—男女別学肯定論を検討する(4)(最終回)」でとっとと終わらせた方がすっきりすると判断してボツにしたのではないかと思われます。古いことで覚えてないです。
地図を読めないのが女に多いのが事実だとしても
よく「女は地図が読めない」「女は方向音痴が多い」と言われ、その印象は私にもあります。これもまた脳の性差によるところがあるかもしれないですが、学習機会の偏在が大きいのだと思います。
以前、メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」で、東西南北をどこまで意識して生活しているのかについて聞きまくったことがあって、たしかに男の方が意識している率は高いのですが、これも個人差が大きい。
百人くらいに聞いたと思うのですが、初めて行った場所でも東西南北をつねにわかっていると語るのが二人いました。男と女と各一人です。
この二人はタイプが違っていて、男の方は自身で方角をつねに意識をしています。建物の中でも、交通機関の中でも。頭の中にある地図上を移動していく感覚だと言ってました。彼は地図マニアです。
一方、女の方は意識をしていないのですが、聞かれればわかる。本当にわかるのかどうかを実験したことがあります。そんなことは一切本人に言わず、太陽で判断できないように、暗くなってから、彼女が行ったことのない場所に車で移動し、当然初めて入った店の中で、いきなり「北はどっち?」と聞いたら、ほぼ正確に北を指差しました。偶然当たったのでなければ彼女は正しく東西南北をつねに認識できていることになります。渡り鳥のように磁力で感知しているのかなんなのかは不明。
タイプは違えども、ここだけをとらえると男も女も同じく一人ずつで等しい。
「つねにわかる」というのはこの二人だけでしたが、家と職場、その通過地点のように頻繁に使う場所については男の大多数は方角がわかっています。しかし、中には日々出勤する会社の中でも、どちらが東でどちらが西かがわからない男もいました。太陽の位置でわかるだろと思ってしまうのですが、はなっから興味がないのです。彼は車に乗りますが、点と点のつながりしか意識しておらず、頭の中に地図は存在しないと言ってました。男では圧倒的少数ですが、こういう人もいます。
結局これも個人差とは言え、東西南北を意識する傾向は現に男の方が強い。なぜか。
※井上京子著『もし「右」や「左」がなかったら』は右と左という、どんな文化でもありそうな言葉や感覚が、実のところそうでもないらしいことを論じたものです(内容は大部分忘れていて、そのことくらいしか覚えてないのですが、ムチャクチャ刺激的な内容で、内容を覚えてないのによく人に薦めてました)。右や左、東西南北、方向感覚というのも文化的に規定されていることがよくわかります。つまりは学習です。
必要があると東西南北を意識する
東西南北を意識するのも、地図を読む能力も学習です。小学校の頃から男子は知らないところに出かけていくのが好きです。私も小学校の時に一人で遠くまで買物に出かけて迷子になり、どっかのおじさんかおばさんに声をかけられ、警察に保護されたことがあります。
そういう体験があると、早い段階から迷子にならないように地図を見ます。
今の私は迷子になるのが大好きなので、スマホを持ち歩かないわけですけど、その分、東西南北をつねに意識する癖がついてます。これを見失った時は迷った時。明るいうちだと太陽の位置も確認します。
田舎に行くと山で東西南北がわかったりしますが、東京の東側はスカイツリーというランドマークができてよかったですよ。見通しが良ければ西側でも23区内からくっきり見えますしね、
自身のことを考えても、今のように歩き回るようになってから、東西南北を意識するようになっていて、必要に迫られればそうなる。その機会が小さい頃から男子の方が多いってことだと思います。
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