松沢呉一のビバノン・ライフ

講演会やシンポジウムの質問コーナーで長々と持論を開陳する迷惑な人たち-(松沢呉一)

ボツ復活シリーズです。2018年5月のものです。

「これは次の話に向けての前段です」と注が書かれていたのですが、「次の話」が何か不明。もしかすっと、循環しようと思っていた古い原稿かもしれない。「本人が考える重要性はしばしば客観的には価値がない」という内容だったのですが、長いので出すのをやめてしまいました。

まさにこのボツ記事がそういう内容なので、これだけ読んでくれればいいや。

 

 

 

郷土資料館にやってきて持論の公開を求める人々

 

vivanon_sentence日刊サイゾー」の「「俺の歴史的大発見を発表させろ!」地方の博物館に急増する“歴史的新発見おじさん”たち」はさもありなんの内容で大いに納得して読みました。

 

 

2018年5月27日付「日刊サイゾー

 

定年退職して趣味に充てる時間ができたのはいいとして、そのジャンルの素養がないために、珍妙な論を世界的発見だと思い込み、郷土資料館にやってきて「発表させろ」とごねる人たちが増えているというお話。

タイトルには博物館とありますが、本文によると博物館では相手にされずに郷土資料館にやってくるとのこと。これもさもありなんです。郷土資料館の類いは私も利用することがありますが、職員が大変親切で、とくに職員も興味を抱くような内容の場合は面白がって一緒に資料探しをやってくれます。「暇か」と突っ込みたくなりますが、地元の小学生が授業の一貫で大挙してやってくるような日じゃなければ、それほど利用客は多くありませんので、そういう時間を狙って「私の大発見を聞いてくれ」とやってくる人たちがいるのでしょう。

 

 

独自研究は不要

 

vivanon_sentence以下はまとめの段落。

 

 

自治体が開催する歴史系の講演会では、質疑応答の時間に持論を語るためだけにやってきている人を見かけることも、よくある。こうした人たちに冷静に基礎から歴史を学んでもらうことは難しいことなのだろう。ウィキペディアでも載せることが許されない独自研究を、なんで博物館では許されると思うのだろうか……?

 

 

以下はWikipediaの執筆における注意点

 

 

 

 

独自研究の発表はいらんと。

独自研究自体はいいと思います。誰もやっていないことをやることで、誰も気づけなかった新発見があって、時にそれが世界の見方を変えることになるかもしれない。そんなことは滅多にないですが、成果なんてなくてもやりたいことをやればいい。私もよくやってます。

しかし、Wikipediaは百科事典でありますから、客観性が必要です。仮にその内容が正しくても、まったく話題になっていないこと、まったく評価されていないこと、本人以外、誰も知らないことは掲載する意味がありません。

ウィキペディアでも載せることが許されない独自研究」だからと言って間違っているとまでは言えないわけですけど、一切の検討を経ていない論はたいてい間違ってますわね。

インターネットがあるのだから、まずは公表して、世の中にその論を問えばいいと思うのですが、そういうことをやっても相手にされずに郷土資料館にやってくる人たちが多いのかも。私もよく独自研究を「ビバノン」に公開して相手にされずめげています。

※足立区の郷土博物館は立派です。脇の遊歩道を歩いている時にウンコをしたくなって立ち寄っただけですが。

 

 

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