松沢呉一のビバノン・ライフ

新真婦人会の西川文子・宮崎光子・木村駒子—女言葉の一世紀[159]-(松沢呉一)

日本女子大は「青鞜」の活動を妨害した—女言葉の一世紀 158」の続きとして書いてあったのですが、このシリーズ自体やめてしまったため、結果、ボツとなりました。今回ボツ記事復活の作業の中で見つけて、「ほとんどできているので、復活させるか」と思ったのですが、ボツ記事として復活させなくても、続きとして出せばいいだけか。本当はもう少し調べようと思っていたのですが、このシリーズは手間をかけても読む人が極少で、検索でひっかかることも稀なので、調べがいがないです。 日本の歴史上のフェミニストで検索されて読まれるのは伊藤野枝関連だけじゃなかろうか。これはいい現象かも。与謝野晶子も読むとええぞ。

 

 

新真婦人会とは?

 

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ここ数回、岩野泡鳴と青鞜社とのつながりを見てきました。下半身もつながっていたわけですが、岩野泡鳴が青鞜社をああも支持したのは彼の文学的な思想と合致してのことであり、必然的な支持だったのでしょう。彼は「青鞜」を新しい思想的、文学的潮流の中での動きとしてとらえていて、この動きがさらに大きくなっていくことを期待し、かつそうなると確信をしていました。

一方で、岩野泡鳴が強く批判した女子教育はそれと真っ向から対立し、「青鞜」に関わった「新しい女」を批判するのみならず、生徒が青鞜社と関わることを禁止するなどの妨害もしてきました。その筆頭が津田塾の津田梅子や日本女子大の成瀬仁蔵であったことはここまで見てきた通りです。

「青鞜」を支持する女たちや男たちがいて、否定する女たちや男たちがいたのであって、この対立は、中身としては男女の関係や地位をめぐるものでありながら、現実の対立は「女対男」という二元論ではとうてい理解できないものでした。文化人の中には支持する人たちがそれなりにはいても、批判する人たち、揶揄する人たちは多く、その外側、つまり一般の人たちは大多数が否定的、あるいは無関心でした。

新しい思想はいつもそんなものかもしれず、今だって「青鞜」や「新しい女」は何を主張していたのかについて知ろうとする人はごく少なく、なんとなく「偉い人たち」、なんとなく「日本のフェミニズムの始まり」という程度の認識でしかない人が大多数かと思います。研究者は読んでいるにせよ、市井の自称フェミニストも大半はそんな程度です。だから、青鞜社と矯風会の区別もつかなくなるのです。

「青鞜」や「新しい女」としてくくられる中でも幅は広く、思想的対立もありました。「青鞜」誌面での論争がさまざまあったように、テーマごとの意見の相違はほとんどつねにあったわけですし、考え方の相違とは別の位相での対立もありました。伊藤野枝と神近市子もそうです。思想的にも相容れなかったわけですが。

津田梅子、成瀬仁蔵らの妨害、恫喝については教育者の資格なしと断じていいと思いますが、青鞜社の面々が言論上での論戦を厭わなかったことについては歓迎すべきでしょう。中身を論じることなく、「分断するな」などと意味のない批判潰しをしたがる今時の糞系フェミとはワケが違う。

日本女子大のサイトより成瀬仁蔵。平塚らいてうに一切触れないのであれば一貫した姿勢として立派だと思いますが、評価が定まってから手のひら返しをするんだったら、せめてその事情はサイトで説明した方がいいと思うなあ。

 

 

新真婦人会の言い出しっぺは宮崎光子、その実、宮崎虎之助

 

vivanon_sentence女が酒を飲み、博打をやっていた時代から、外出もままならなくなっていく過程—女言葉の一世紀 154」で引用した下田歌子の言葉の中に、「新真婦人」というのが出てきました。あれは新真婦人会が出していた雑誌のタイトルです。

新真婦人会は「新しい女」のムーブメントのひとつですが、ここと「青鞜」との関係は微妙です。ざっと説明しておきます。

新真婦人会は、西川文子木村駒子宮崎光子によって結成された青鞜社のフォロワー的団体です。あるいは便乗組とでも言った方がいいか。少なくとも始まりは相当にいかがわしい。

ほとんどが未婚者、あるいは離婚者であり、結婚制度に疑義を抱く参加者が多かった青鞜社に対して、「新しい女」の考えを既婚者にも広げることを目的として設立され(という言い方もできると同時に、「青鞜社の勢いを削ぐべく設立された」という見方も可能)、「青鞜」の向こうを張って、雑誌「新真婦人」を発行しています。

 

 

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