松沢呉一のビバノン・ライフ

平民社出身の「新しい女」西川文子—女言葉の一世紀[160]-(松沢呉一)

新真婦人会の西川文子・宮崎光子・木村駒子—女言葉の一世紀[159]」の続きです。

 

 

 

平民社出身の西川文子の雑誌となった「新真婦人」

 

vivanon_sentence宮崎光子と木村駒子は新真婦人会が発足して間もなく離脱して、結局、残ったのは西川文子(1882〜1960)だけでした。本気だったのは彼女だけだったと言いますか。とは言え、オカルト派の山師といったところの宮崎光子木村駒子と一緒に活動を始めたくらいで、西川文子も建前とは別に、なにかしらの思惑があったことは否定できない印象です。

西川文子は「平民新聞」を発行した平民社のメンバーであり、平民社の創設メンバーの一人である西川光二郎と結婚。堺利彦幸徳秋水大杉栄らに関する資料を読んでいると西川文子の名前がチラホラと出てきます。

大逆事件(1910)によって社会主義陣営は大きな打撃を受け、西川光二郎は転向宣言をします。西川光二郎は修養運動を始め、西川文子は生活の糧を得る場を新真婦人会に見出したと言っても間違いではなかろうと思います。

どういう用件だったのかわからないですが、岩野泡鳴は、西川光二郎と西川文子の訪問を受けて面会をしています。「新真婦人」への原稿依頼だったのかとも思うのですが、始まりが始まりだっただけに、岩野泡鳴はいい印象を受けたようには読めません。

岩野泡鳴はこう書いています(『近代生活の解剖』1915年/大正4年)。

 

青鞜社に対してだと云はれる真新婦人会(ママ)なるものが起った当座、その会の表面にあらはれた事実に拠ると、婦人その物の問題はほんの出しであって、おもな三名の婦人が各々その蔭にゐる所天の商売を紹介するか、若しくは所天に商売を与へる手段をしてゐるかのやうに見えた。そして今日ではその会も会誌も共に西川氏夫婦の個人的商売になってしまった。

 

「青鞜社に対してだと云はれる真新婦人会」という文章がよくわからないですが、「青鞜社に対抗して結成されたと云はれる新真婦人会」「青鞜社に対するあてつけの意味の命名だと云はれる新真婦人会」かと思います。この本は誤植が多いです。

「ほんの出し」は「出汁」「ダシ」ってことでしょう。「所天」はこの場合、夫のこと。本当の目的は夫の商売だったのだと。

この真相はわからないですが、彼らは「あれだけ話題になっているのだから、青鞜社は儲っている」と考えたのではないか。正確な数字は忘れましたが、「青鞜」の初期はたしか3千部とか、そんなもんだったはずで、いかに話題になって、いかに広告がとりやすく、出版物の定価が高い時代でも、何人も食えるほどではない。前にも書いたように青鞜社の社員は同人といった意味でしかなく、給料をもらえるわけではなく、むしろ無料奉仕をしていました。原稿料も払っていなかったか、一部ししか払っていなかったはずです。

宮崎光子と木村駒子がすぐに離れたのも、雑誌はそう儲かるわけではないってことがわかったためかもしれない。

しかし、雑誌「新真婦人」は十年近く続いてますから、野心のある2人が離れ、経験豊富な西川文子主導になり、なおかつ中道路線が広い読者を集め、西川文子、あるいは西川光二郎もそれで食えてしました。

この西川光二郎と西川文子はクリスチャンから社会主義に向った人たちですから、その根底にはキリスト教道徳があったのだろうと想像しますが、オカルト派と野合したのですから、たいした信念があったわけではなさそう。やはりゼニか。

Wikipediaより木村駒子。新真婦人会を離れた数年後に渡米しており、その時の写真か

 

 

新真婦人会と青鞜社の違い

 

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新真婦人会」の考え方は、設立宣言とでも言うべき、西川文子・木村駒子・宮崎光子著『新らしき女の行く可き道』(1913年/大正2年)で示されていて、「青鞜」の影響を隠さず、しかし、急進派たる「青鞜」とは距離を置いた穏健派です。

この本は西川文子が相当部分を書いているのだと思われます。

結局のところ、「結婚しても本を読むべし。勉強をすべし」というところを結論としていることが多くて、この部分を見ると、良妻賢母派の「結婚しても修養を続けるべし」という主張とたいして変わらないように見えます。

また、結婚は尊いものであり、そこには真実の愛が必要と主張し、子どもを産むのが婦人の幸福とも言ってます。

しかし、愛がなくなったら別れればいいという考えは否定してますから、エレン・ケイを都合良く借りてきた凡庸な日本的「霊肉一致」派の感もあります。この点で、岩野泡鳴とは大きく違います。

なぜ「別れればいい」ということにはならないかと言えば、「徹底せる恋愛、趣味、理想によって理性的に選ばれたたる結婚ならば、其恋愛は終生変る事なく、今日よりは明日、明日よりは明後日と一日一日に親密の度を増し、愛情の温かさを加ふるもの」だからだと言います。これでは「親の決めた見合い結婚でも、生活するとともに愛情の温かさが生ずる」という、霊肉一致批判の意見と寸分変わらない。

 

 

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