松沢呉一のビバノン・ライフ

ネオナチはドイツのマジョリティを代弁している—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[5]-(松沢呉一)

温存された排外主義と人種差別意識が移民によって強化されていく構図—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[4]」の続きです。

 

 

 

「売春・賭博・同性愛は不要な存在」という認識は社会全体が共有している

 

vivanon_sentenceベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』の第一章は象徴的な話から始まります。フランク・ハニッチというドレスデンの「セックスの帝王」と言われる36歳の人物が、新たに売春宿をオープンさせる計画を打ち出します。彼はドイツ統一後の自由を肯定し、その自由を押し進めるべくセックス産業で成功してきた人物。これに対してネオナチが抗議行動をするのですが、フランク・ハニッチのグループはこれに対抗すべくネオナチの一人であるライナー・ゾンタークを射殺します。

これによってライナー・ゾンタークは殉教者となって祭り上げられていきます。このゾンタークという人物はネオナチの中で山師、詐欺師と見られていて、かつて売春婦のボディガードをやっていたこともあり、売春宿叩きも業者から金をせしめる目的でやっていた節もあるのですが、すべてではないにしても、ネオナチは売春や賭博や犯罪に反対していて、そこも国民の潜在的支持を集めた根拠です。

「そこを叩くと受けるから」ということもありつつ、彼らの内面には薄汚い売春産業を放逐すべきという価値観があるのだろうと思います。

いま、なぜネオナチか?』にはミヒャエル・キューネンがたびたび出てきても、同性愛者であることには触れておらず、それよりも攻撃対象として同性愛者が繰り返し出てきます、売春産業と同じ扱いです。

※インターネット普及前の事件のためか、ライナー・ゾンターク射殺事件についての記事が見つからず。ここに出したのはドレスデンの売春宿「Babylon Dresden」。「ちょっと遊びに行ってくるかな」と思ったら、現在はコロナ禍のため休業。美人さんがいっぱいいますが、東ヨーロッパからの出稼ぎが多いはずです。

 

 

潜在的に市民の求めるものをあからさまに求めるネオナチ

 

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80年代の東ドイツでは、個人の豊かさ、快適さを求める空気が若い世代に浸透し、これに対する反発をネオナチはすくいあげ、その反発として保守層が嫌悪したパンクスへの攻撃はとくに多くの国民が歓迎しました。

これらの現象を見ていくと、東西ドイツともに、ドイツ人の伝統、国民性みたいなものがネオナチを生み出していることが見えてきます。ここが本書で私がもっとも着目した点です。

 

 

「伝統的な男女の役割論、昇進モデル、それにぴったりのピラミッド型構造の社会像・世界像を持つ小市民階級の〈秩序正しい環境〉が——また——極右主義の温床となる」と、アーヘンの社会学者イルムガルト・ピンは、連邦共和国に関して分析しているが、これは東ドイツにもあてはまる。「もちろんこれらの右翼過激派の思考と行為には、結局のところどこか病的なものと同時に、ドイツ的な俗物・小市民気質に根ざしたものがある、小市民右翼過激派の若者は、通常は秩序正しい、几帳面な、といった形容詞のつけられる同胞である(まさしく〈ドイツ的な諸特性〉だ)。両者とも厳密にみれば、心に抱く敵のイメージは同じで、小市民の方がしつこさが少なく、露骨でないだけなのだ。さらに両者に共通するものに、漠然とした連帯志向がある——右翼過激派の若者は小市民のあこがれが現実の世界へと延長された姿なのだと、わたしはいいたい」(トルステン・シュルツ『デア・アンツァイガー』紙九〇年四月二七日付)。

 

 

この指摘は目から鱗でした。私はまったく逆に考えてました。左か右かの違いはあれども、パンクス的なはみ出しものがネオナチだと捉えていたのですが、ネオナチは小市民が広く持っている特性を妥協なく強化したものだったのです。

 

 

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