松沢呉一のビバノン・ライフ

西川文子による良妻賢母教育家(山脇房子・跡見花蹊)に対する批判—女言葉の一世紀[162]-(松沢呉一)

平塚らいてうはなぜそこまで新真婦人会を嫌ったのか—女言葉の一世紀[161]」の続きです。

 

 

山脇房子への批判

 

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ここまで見てきたように、平塚らいてうにはまるで相手にされなかった新真婦人会ですが、西川文子の文章からは、平塚らいてうに対する敵意みたいなものは感じられず、その主張や功績を認めており、年長者の余裕を見せてます。あるいはそうした方が商売としてうまくいくという計算か。

「新しい女」批判に積極的に対抗していたのは、「青鞜」では伊藤野枝だったわけですけど、この点では西川文子も決して負けてません。

ごれも平塚らいてうは気に食わなかったようです。良妻賢母派の教育家たちが「新しい女」に誹謗中傷と言っていいような批判を加えていたのに対して、あとからやってきて「新しい女」を自称する西川文子があたかも自分に向けられた批判であるかのように受けて立つ。ここには西川文子なり、西川光二郎なりの計算があったのだろうと私も思えます。これをやることで、西川文子は錚々たる女流教育家たちと論戦をやっている印象になります。「人のふんどし方式」は宮崎虎之助の得意としたところですが、西川夫婦もこの方式を採用していたのではないか。

しかし、その部分だけは今読んでも面白いのです(あとは同じような内容の繰り返しであんまり面白くない)。

以下は山脇学園(当時は山脇高等女学校)の創設者、山脇房子に対する批判です。

 

 

近頃の中央新聞に山脇房子女史の談話筆記としてコンなことが載せてあった。曰く、

「自分は良妻賢母主義で、どうしても女の天職は子を産むことにあると思ふ。近頃新らしい女などと云ふ婦人問題が出てコマッタものだ。女学生も大分、講演会を聞きに行った様にかいてあったが、自分はただ通りかかって好奇心に騙られて(「煽られて」の誤植か?)入ったまでで、決してソンなものにかぶれて居る事はないと思ふ。自分の学校では徹頭徹尾、良妻賢母主義で生徒を教育して居る」

私はもとより良妻賢母主義を悪いと云ふのではない、又そこに確信があるならばソレはもとより結構であると思ふ。けれども今日の多くの女子教育家は、良妻賢母主義を振廻せば父兄が安心して自分の学校に娘を入れて呉れるであらうと云ふ、商売的御都合主義から、一つの店看板として良妻賢母主義を唱へてるのではあるまいかと思はれる。真に女子は子を産み、人の妻となって居るがよい、他の事はしないがよいと云ふ議論ならば何故其の主張者たる、山脇房子女史にあれ、三輪田女史にあれ、良妻賢母以外の女子教育家になられたのであるかと問ひたい。自分はするが人のするのは不賛成だと云ふのは不親切なわけである。

 

 

ところどころでカタカナが混じるのは西川文子文体の特徴で、山脇房子の談話内のカタカナも西川文子によるものだと思われます。よって、山脇房子の談話は原文通りではないでしょうが、いかにも山脇房子が言いそうです。

ここを見ると、西川文子は個人主義的です。良妻賢母を貫く人はそうすればよい。しかし、教育者が女学校ビジネスのために、それを生徒に押しつけることには批判的であり、自身は良妻賢母の生き方を徹底することなく、人によっては結婚もせず、子どもも産まず、学校の経営をすることの矛盾を指摘しています。ここは私もさんざん書いていた通り。見事なダブルスタンダードです。

自身は学校経営をしながら、女一般に対して「社会進出などせずに、家で家事育児をやって家庭を守ることが国家のためなのだ」と説くことに矛盾を感じなかったのは「自分は特別」という思いが強かった人たちだからであるとともに、そうすることがビジネスを成立させる方法だとわかっていたからでしょう。

Googleストリートビューより山脇学園高等学校。赤坂の一等地

 

 

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