松沢呉一のビバノン・ライフ

「白バラ通信」を添削する—ショル兄妹を褒め称えるだけでいいのか?[上]-(松沢呉一)

ボツ復活シリーズです。

バラの色は白だけではない」の前から書き始め、「バラの色は白だけではない」に組み込む予定で書き続けていたものです。白バラ抵抗運動が戦後カトリックやロシア正教の広告塔として利用されるようになったことも気味が悪かったし、ハンス兄妹の行動によってあまりに多くの人が逮捕され、処刑されたり、収容所で亡くなった人たちもいて、その中には複数のユダヤ人もいたことを知って、英雄化に対して「ちょっと待て」という気持ちが生じ、改めてショル兄妹の行動を検証した内容です。

これをボツにしたのは「バラの色は白だけではない」を書き始めてからトラウテ・ラフレンツのインタビューを読んで、私がくどくどと説明するまでもないと判断したためです。このシリーズは長くなって読む人が減り、シリーズの最後の方は文字数が思い切り増えているのは早く終るためであり、そういう状態でのボツです。

今もなによりトラウテ・ラフレンツのインタビューを読んでいただければいいのですけど、その後は白バラについて検索で入ってくる人たちがずっといますし、これを読むと、私がトラウテ・ラフレンツとほとんど同じ結論に達するまでに、どんだけ白バラについて調べていたのかよくわかるので、出しておく意味もあるかと思いました。どうもおかしいぞと気づいたら、こういう作業を各自がやっていけばいいのです。ナチスに限らず、過去に限らずです。そうすれば騙されずに済みます。

白バラリスト」など、他の記事に転用した内容が多々ありますが、流れが変わって削りにくいので、そのままにしておきます。一応チェックはしましたが、写真も他で使ったものがあるかもしれない。

 

 

波は立ったのか?

 

vivanon_sentence私も戦後間もない時代のドイツにいたら、そりゃ白バラを無条件に礼讃したでしょう。でも、それから半世紀以上経つ今になっては、神輿として持ち上げる意味合いが薄れています。またしてもドイツ民族主義が台頭する中、彼らの存在意義は今も薄れていないという意見もありましょうけど、そういう時代だからこそ、「やり方としてどうだったのか」を今一度検証した方がいいと思うのです。「キリスト教の良心」としてまとめると、キリスト教と無縁の人たちにはどうでもいいことになってしまいます。彼らはなぜ立ち上がったのかから検証した方がいい。

ショル兄妹は自分たちの行動がきっかけになってドイツ国民が目覚め、抵抗を始めることになると確信していました。また、自分らが死ぬことによって、その動きはさらに確固としたものになるはずだと信じていました。死を怖れなかったのはそのためでしょう。

ハンス・ショルは自分の死によって何千もの人々が目覚めて行動するのではれあれば、自分の死は無駄ではないといったことを言い残していますし、ゾフィーは処刑される直前に、面会に来た母に「これで波が立つでしょうよ」と言っています。死を前に、そう信じるしかなかったということもありましょうけど、一貫して彼らは楽観的です。見通しが甘いと言ってもいい。

彼らの行動を契機に、他の地域でも「白バラ」と同様のグループが作られたり、彼らのビラを複製するのが出て来ましたが、大きな動きにはならず、小波で終わりました。

ビラは国外に持ち出されて、ドイツ国内でも抵抗が起きていることを知らしめたことが最大の貢献かもしれません。当時、国外では「どうしてドイツ人はナチスと闘わないのか」という批判が出ていて、その批判に対するドイツからの回答にはなりました。

さらには英軍がビラの抜粋を空からまいていて、これが数万枚。もっとも配られたビラはこれでした。

彼らの行動を知って勇気づけられた人々もいたでしょうけど、処刑されたことを知れば盛り上がった機運が鎮まる効果もあります。その効果を狙ったから、ナチスは彼らを見せしめとして処刑しました。

関係のあった人たちは軒並み逮捕されてしまい、積極的に関与した人々は殺されたか、終戦まで刑務所や強制収容所に入れられていたのですから、動きようがない。

「白バラ」に関わったのを契機に引続き地下活動を続けた人も一部いましたし、処刑後もビラを配布した人たちがいましたが、慎重にならざるを得ない。ショル兄妹が処刑されたことによって慎重になって逮捕されずに済んだのであれば、それはプラスの効果ではありますが、ショル兄妹らが処刑されたのでは元も子もないですから、もっと慎重にやるべきだったと思います。

今になってどうしようもないこととわかりつつ、繰り返しショル兄妹の軽率さを悔やまないではいられない。彼らにしてみると、波が立つ確信とともに、刻一刻と人が死んでいき、殺されていくことは耐えられず、自身の自由が失われている現実も耐えられなかったのでしょうけど、もっと慎重にできたはずです。

インゲによると、彼らはこういった活動をやったことがなくて手探りで始めたようです。

それにしても、捕まることは避けられたものだと思えますし、もっとガードをしっかりしていたら、さらに長い活動が可能になったはずです。口惜しい。

Hans Scholl, Sophie Scholl, and Christoph Probst, 1942. 

 

 

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