松沢呉一のビバノン・ライフ

血の純潔帝国の敗北は必然だった—ナチスと婦人運動[ボツ編]-(松沢呉一)

ナチス体制を揺るがす性欲の戦士たち—ナチスと婦人運動[10]の続きとして書いたものなのですが、図版も揃えていたのに、なんでボツにしたのかよくわからん。この頃はまだナチスシリーズが長期にわたって読まれることに気づいておらず、「早く終わらせよう」と焦って飛ばしたのかも。

 

 

 

血の純潔帝国は崩壊へ

 

vivanon_sentence戦争になって若い男たちから戦地に向かって戻ってこず、その代わりに東部占領地域から連れて来られた外国人たちが周りにいる環境では、彼らに対しての恋愛感情や性欲が生じることはどうしようもないことであり、ドイツ女性らは着々と血の純潔維持法」(H・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国』の表記ですが、これがどういう法律だったのか調べてもわからず)に違反する例を増やしていきます。「血の純潔主義者」たちはこれを許せず、党は繰り返し通達を出し、国民に警告をしますが、効果はありませんでした。これはすなわちナチス体制の崩壊を意味しました。

ヒトラーのみならず、ハイドリヒなど、複数のナチス幹部にはユダヤ人の血が流れているとの噂があって、DNA鑑定もできなかった時代に、書類だけでユダヤ人、アーリア人を確定させることなどできるはずがない。DNA鑑定ができたところで、「みーんないろんな血が混じっている」ということにしかならず、ユダヤ人もアーリア人も幻影です。文化的民族は存在するとしたって、セックスしたい時はするわけで、どこでどういう血が混じっているかもわからない。

男不足の中で道徳も法も性欲が乗り越えていき、「血の純潔帝国」は「血の幻想帝国」でしかなかったことをまざまざとナチスは見せつけられました。性欲こそが真理でした。

H・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国』より。

 

入念につくりあれげられてきた公衆道徳と徳性のイメージに、明らかな亀裂が見えるようになってきた。特別裁判所の野蛮な判決も、警察の専横な取締も、戦争の与える道徳的影響に歯止めをかけることはできなかった。体制管理の可能性は、日に日に独立の度を強めていくSS機構のありとあらゆる全体主義的方法によって発掘されつくしはしたものの、一般道徳の管理はいよいよむずかしくなっていった。いかに権力機構を組織化しても、状況の解体テンポに追いつかなかったのである。

 

 

ついにはドイツの各都市への空襲が始まって、夫は都市に残り、妻は疎開し、家族は分断され、そこでも家族と道徳の解体が進行していきます。

1943年、1934年のクリスマス休戦で戻ってきた兵隊を追いかける女たちで道は溢れました。若い世代はもちろん、既婚者も。上は50代まで。戦争よりもセックス! 捕まるのが怖くて外国人とはできなかった女たちも、戦争よりセックスが必要なんだと思い始めていたはずです。

 

Children playing “home” in a corridor of the bunker school at Düsseldorf.

※「写真を撮る時は笑えよ」って言いたくなりますが、これは防空壕で撮ったもののようです。恐怖に耐えている子どもたちなのです。ドイツではとくにハンブルグ、ドレスデン、ベルリン、ケルンに繰り返し英米軍は大量の爆弾を落としていて、ドイツ全土で民間人が数十万人亡くなってます。ドイツもロンドンを空爆していますから、どっちもどっちですけど、規模が違い、日本に対する空襲、とくに原爆投下同様、これも疑いのないジェノサイドです。ナチスに対抗するためにはやむを得なかったと考えるべきなのかどうか、未だ私は判断がつかない。

 

 

機能不全に陥っていたナチスドイツ

 

vivanon_sentenceもちろん、下半身活動や不良たちの活動だけがナチスドイツを内部から壊していっただけでなく、こういった国民の蜂起とリンクし、それらを加速させていたのはナチス体制の崩壊です。

戦争が進むに従い、ヒトラーが衰えました。これは独裁政権を樹立してから着々と進んでいたことのようですが、戦争になって以降、ヒトラーは表立った仕事をあまりしていない。

以下はH・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国より。

 

政権に就いて何ヶ月かの間は、ヒトラーは規則正しく政務をこなしたが、やがてミュンヘンのカフェにいりびたっていた頃の生活スタイルに逆戻りしていった。文字通り、昔のボヘミアンに戻ってしまったのだ。たいていは昼頃まで寝て、気分次第で予定を変更した。信頼できる少数の者を集め、大げさに独り言をいいながら活動を始めるのは、夜になってからだった。微妙な問題については夜ふけに話すのを好んだ。集まった者が眠気を催して自分の言いなりになるからだ。

 

ビアホールで演説していた時の癖かもしれない。遅くなった方が聴衆の判断力が落ちるので、群集心理になりやすいという知恵です。

 

 

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