松沢呉一のビバノン・ライフ

マルティン・ニーメラーの警句が取りこぼしたもの—ナチスと婦人運動[ボツ編2]-(松沢呉一)

「ナチスと婦人運動」のボツ編第二弾。道徳の話ではあるのですが、ニーメラー個人の話が中心なのでボツにしました。ナチスとキリスト教との関係についてもここで説明していたのですが、のちにナチス推奨の「積極的キリスト教」と帝国教会—バラの色は白だけではない[4]ドイツ人とキリスト教のあまりに強いつながり—バラの色は白だけではない[5]」でまとめているため、そこはカットしました。

 

 

 

語られない闘い

 

vivanon_sentenceH・P・ブロイエルが『ナチ・ドイツ清潔な帝国』で指摘しているように、戦中、性欲の戦士たちの行動を「抗議」「抵抗」「蜂起」という文脈で言語化した人たちはいませんでした。戦後のドイツでも同じです。

それらの文脈ではないですが、強制収容所に入れられた売春婦の存在に目を向ける人たちが少ないとの同じです。あるいは日本でも戦後のパンパンを抵抗、蜂起と見る人がほとんどいないのと同じです。

抵抗運動は外国にかぶれてダンスに興じ、スイングのセッションをし、乱交パーティをし、低額の料金で売春するドイツ女子同盟の女の子たちや相手かまわずセックスする人たちによってなされるのではなく、思想を背景にして、時に赤旗を振るようなタイプの人たちに与えられるべき言葉だからです。あるいはせいぜいマルティン・ニーメラーのような宗教者によってなされるべきものです。

もちろん、それらは尊重すべき、評価すべきものですが、評価すべき人たちは他にも多数いました。

もう一度強制収容所に入れられた告白教会の牧師・マルティン・ニーメラーの例の警句を見てみましょう。

 

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

 

他にもさまざまなヴァージョンがあって、「共産主義者、不治の病の患者、ユダヤ人やエホバの証人、ナチスによって占領された国の人々」というのもあります。

それらの人々が殺さたことはもちろん不当。しかし、同時にナチスの怖さは、セックスや恋愛といった極私的な領域までを支配したことにあります。そこから外れると強制収容所に入れられたり、晒し者にされました。また、同じく私的な趣味に属する音楽、芸術、文学といった領域でもナチスが是非を決定したことにも特性があります。

ニーメラーの言葉からはそれらがまったく見えてこないことに私の不満があります。「彼らが同性愛者たちを強制収容したとき、私は声をあげなかった。私は同性愛者が嫌いだったから」「彼らが性科学研究所の本を焚書にしたとき、私は声をあげなかった。私はエロ本が嫌いだったら」と言ってくれれば、性の行動、性の表現を守ることの意義が少しは見えてきて、日本に刑法175条(わいせつ物頒布罪)が残っていることの不当性も見えやすくなったのに。

Cabaret in Berlin in the 1920’s パンツが見えそうなので、これをアイコンにするとFacebookにBANされかねない。

 

 

マルティン・ニーメラーの限界

 

vivanon_sentenceWikipediaの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」の解説にも、ナチスが迫害した対象として「共産主義者、社会主義者(社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人、障害者、カトリック教会、エホバの証人」を挙げているだけです。

ニーメラーはさまざな人々を挙げているのに、ここには同性愛者はいない。女装者も売春婦もいない。フラッパーも不良もスウィングスもいない。彼らも強制収容所に入れられ、不良グルーブには処刑されたのもいます。

 

 

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