松沢呉一のビバノン・ライフ

豊田真由子の復活と比較する—山本圭壱復活を擁護する[3]-(松沢呉一)

豊田真由子と山本圭壱の復活-山本圭壱復活を擁護する[2]」の続きです。5年前の話を再構成したものであり、その後起きたケースも組み込んでいます。

 

 

豊田真由子のテレビ出演はいいわけ?

 

vivanon_sentence私は観てないですが、豊田真由子はテレビにコメンテーターとして復帰しているようです。その経歴からして、感染症については的確なコメントができることが期待できます。

これに対して「テレビに出すな」と言っている人がいるのかどうかわからないですが、山本圭壱を「テレビに出すな」と言っていた人たちは同じことを言っていいはずです。むしろ言わないのはダブルスタンダードです。

豊田真由子は不起訴処分になっていますが、起訴猶予なので、嫌疑がなかったのではなく、軽微であり、社会的制裁も受け、反省もしているということだったのだろうと思われます。しかし、元秘書である被害者とは示談が成立しませんでしたから、おそらく納得していないだろうことが想像できます。

対して、山本圭壱の場合は示談で終わっていますので、それで完了。

示談にならなければ山本圭壱は起訴されて、重い罪になったかもしれないですが、そう決めつけていいはずがない。わかっているのは示談になった事実だけ。

これらの事実を比較した場合、被害者の心情を汲み取るならば、元秘書の方に配慮があるべきです。しかも、元秘書は「週刊新潮」にも出てコメントしていましたから、その心情を理解することができます。

対して、山本圭壱による被害者は何を考えているかを知ることは難しいわけですが、もしテレビに出て欲しくないのであれば、その旨示談の内容に入れればよかったはずです。示談交渉がこじれるため、そんなことまでは入れなかったのだとしても、示談金の中に含まれると解釈できますから、「今でも彼の姿は見たくない」と思っていても文句はいいっこなし。

山本圭壱の被害者はその後、PTSDによって思い出すだけで震えがとまらないということはありえますが、それは豊田真由子の元秘書も同じです。秘書の救済は民事裁判でなされてもいいわけですけど、訴えてはいないようなので、テレビ局が特別に配慮する必要はないでしょう。テレビに出たっていいのです。

※2021年5月9日付「文藝春秋digital」 「東大卒の女性たち」というシリーズなので、学校や仕事についての体験が中心になっていて、テーマに沿った内容ですが、ファンとしてはもうちょっと彼女の考え方みたいなものまで掘り下げたものを読みたいと思いました。それよりなにより、写真の表情が政治家時代とまるで違うことに驚きました。私はキリッとした議員時代の方が好きだったりします。

 

 

私刑は憲法違反

 

vivanon_sentence山本圭壱は被害者との関係において話は終了しています。第三者がそれに対して、「被害者は示談に納得していない」「テレビに出ないという項目も示談に入れるべきだった」なんて口を出す権利はありません。その両者の示談とは別に社会的責任は生ずるという意見はわかりますが、山本圭壱は異例と言っていいくらいの制裁を受けたのです。

被害者が納得していなくても、豊田真由子は議員生活を絶たれ、あれだけ笑いものになったのですから、どっちももう十分じゃないですか。どっちも能力があるんだから、それを活かすのが結局は社会のためです。

 

 

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