松沢呉一のビバノン・ライフ

「難民受け入れ賛成だが、外国人が隣に来て欲しくない」という人たち—「ライプツィヒ権威主義研究」から考えたこと[2]-(松沢呉一)

同性婚には賛成だが、同性間のキスは不快」という人々の中身—「ライプツィヒ権威主義研究」から考えたこと[1]」の続きです。

 

 

 

ジンバブエ人の話を聞きたい

 

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日本においても、外国人受け入れについて、顕在・潜在のどちらの数字も出しておいた方がいいと思います。

ドイツのスラブフォビアと「私はどこの国から来たでしょう」の続編」に書いた話もずっと私の中で尾を引いています。その前から尾を引いているからあれを書いたわけですけどね。

あそこに書いた「ドイツではスラブ系外国人と接する機会があっても交流はせず、職場にいても挨拶さえしない人が多い」という話は、ナチス・シリーズで取り上げているベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』に出ていました。そういう人たちは仕事のあとはもちろん、昼飯も一緒に食ったりしないんだべな。

挨拶くらいはするとしても、日本にもそういう人たちはいるのかも。

こういう人の中にも「難民受け入れに賛成」と答える人はいるでしょう。「国の経済を考えると、末端の労働を請け負う層が必要」と考えながら、交流はしたくない人。あるいは、ここでもお題目としての「難民受け入れに賛成」という意見を持ちながら、個人の生活レベルの実感が伴っていない人もいるでしょう。

「外国人受け入れに賛成ですか」と「隣に外国人が住むのは歓迎ですか」と聞く調査をしたい。後者は「フランスとベトナムとインドとアルゼンチンとジンバブエのどの国の人だったら許容範囲ですか」という質問もしたい。私はどうせだったらジンバブエ人がいいです。なかなか知り合えないですから。ホモフォビックかもしれないですが、隣だったら話し合って説得しますよ。

最近時々行っている銭湯は、受付に若い女子が座っていることがあります。経営者の娘さんですが、近くに複数の大学がありますので、最初はバイトだと思っていて、大学に募集を出して、ジンバブエ人の留学生が応募してきたらいいのにと思ってました。なぜか私の中では「ジンバブエ人」でした。客も学生が多いので、嫌がる客はほとんどいないでしょう。

娘さんが受付にいると、おっちゃんたちは嬉しいみたいで、よくダベっているところを見かけるのですが、男女問わず、ジンバブエ人だったら私も毎回話しかけます。ジンバブエの入浴事情やホモフォビアについて聞きたい。

 

 

知らない人は素通りするが、知り合いだったら助ける

 

vivanon_sentence米国でアジア人差別が激しくなっていて、周りは誰も止めなかったとよく報じられていますが、報道を見る段階では差別だとわかっているから「ひどい」と思うだけで、その場では何が起きているのかわからないので、たいてい素通りするでしょ。殴られているのが老人だったらともかく。

繁華街でケンカをしているのを見かけることがありますが、私もめったに止めることはない。

今までの経験上、店の中は別にして、路上で見ず知らずの人のケンカや言い合いを止めたのは数えるほどしかありません。進行方向を塞がれていたのでやむなく止めたことがあるのと、新大久保で「この朝鮮人が」と一人の青年を複数で怒鳴っているのを見て止めたことがあるくらい。

青年の乗った自転車が彼らの誰かに接触して自転車が転倒。彼は日本人だと思うのですが、罵倒語として「朝鮮人」を使っていたのです。「新大久保でそれをやるかよ」と思ったのですが、新大久保だから、コリアンの可能性があるというのでやったのかも。

もしそんな言葉ではなかったとしても、罵倒され、殴られているのが知り合いだったら、素通りはしない。外国人でも同じだと思うんですよ。ジンバブエ人でもミャンマー人でも、コンビニの店員で二度三度話して顔見知りになっていたら間違いなく助けます。「助けなきゃ」と思う外国人をそれぞれが何人か確保しておくだけでも互いに少し住みやすくなるし、外国人を受け入れやすくなると思うのです。こっちが誰かに殴られている時は助けてくれるかもしれないし。

 

 

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