松沢呉一のビバノン・ライフ

正義と平和のための戦争—独裁者ヒトラーの時代を生きる[2]-(松沢呉一)

ヒトラーの演説を聴いたドイツ人たち—独裁者ヒトラーの時代を生きる[1]」の続きです。

 

 

 

ヒトラーの演説を今も諳んじている元ヒトラー・ユーゲント

 

vivanon_sentence登場する証言者12名のうち、ヒトラーの演説を生で聴いてその内容を記憶しているのは1925年生まれのクラウス・マウエルスハーゲンさんだけだと思われます。彼はヒトラー・ユーゲントから選抜されてニュルンベルクの党大会に参加していて、この人の存在が強烈な印象を残します。

マウエルスハーゲンさんはヒトラーが乗り移ったように、身振りを含めて演説を再現します。

古い記憶が残っていない私でありますが、それでも小学校や中学の時の友だちの名前は忘れないように、古い記憶の方が鮮明なことはよくあるものです。それにしても93歳になってなお覚えているものか。この時のヒトラーの演説は映像が残っていないらしいのですが、ニュース映画では取り上げられたでしょうし、ナチスはヒトラーの言葉を新聞、雑誌、ポスターで繰り返し国民に植えつけていきましたから、一度聴いただけの演説を記憶しているわけではないと思うのですが、それにしても、覚えようとしないと覚えられない。

そのくらいヒトラーに心酔していたのであって、それが間違っていたのだとしても、心酔した時代に愛着を抱いてしまうのは当然ではあって、このことがそのまま現在の考えにつながるものではないですが、どうも今なおマウエルスハーゲンさんはヒトラーの呪縛から逃れていないようなのです。

敗戦後、ソ連の収容所に入れられ、体を壊し、病棟にいた時に、特別に看護師に牛乳をもらいます。どうしてそんなことをしてくれたのかと聞くと、弟に似ているからと彼女は答え、彼女はユダヤ人で弟はドイツ人に殺されたと言います。マウエルスハーゲンはそこに本当の人間らしさを見て、これで生きる気力を取り戻しています。

しかし、いまなおナチス思想を排除できていないふしがあります。看護師の弟はナチスに殺された。そのトップはヒトラーであり、ヒトラーこそがユダヤ人殲滅を実質主導した。それらがうまく接続されていないのです。

接続しない、接続させない知恵(「ごまかし」と言い換えても可)は、ナチスの時代を生きた人々にしばしば共通します。その筆頭が「総統がご存知だったら」というフレーズです。この本の中にもこの言葉が出てきて、「またか」と思いました。ヒトラーはナチスそのものであるにもかかわらず、理不尽なことがあると、ヒトラーを切り離す。ヒトラーは天上人であり、世俗な行動は末端のバカな親衛隊員や突撃隊員がやったことになっています。これによってヒトラーを信じた自分を疑わなくて済む。

※「独裁者ヒトラー 演説の魔力」より

 

 

証言者も時にごまかしをする

 

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ナチス・シリーズでここまでさんざん書いてきたように、人間は自分を肯定したい。そのためにごまかしをします。今の時代だって、そういうごまかしはいくらでも見られます。他者を攻撃する時は100の理由を挙げますが、自分や身内となると100の理由で正当化します。すべて恣意的。

政治家の言葉は誤解としか思えない解釈で性差別だとして攻撃し、自身はその論理をもっと生々しく強化してまたまた他者を攻撃する。「自分は特別」ってわけです。

そのダブスタを自分では自覚できないくらいに人間は都合がいいのです。

まして戦後は価値観が180度変換するため、特別なごまかしが必要になりました。ナチスに押しつけられつつ、自分でもそれに忠実であらんとしてきた人々にとって、戦争が終わったところで、その時の記憶が簡単に消えるわけではない。むしろ歳をとるとともに「若い頃はよかった」という回顧が始まるので、複数の証言者の口から、「ん? あの時代を肯定しているのか?」と思える言葉が出てきます。

とくに戦後間もない時期のナチス本はそのごまかしが生々しくて、その混乱を誰もが共有していた時代なら通用したのでしょうが、今読むと、「なんだこれ」ということになることも説明してきた通りです。ごまかしが洗練されていないのです。

戦後すぐだと、「またすぐにナチスが復興する」と考えていた人たちもいて(この本に出ていたのではないですが)、どこをどうごまかせばいいのかも安定しない。その点、今現在では時間の経過が冷静な視点を確保するので、その時の空気を共有していない私にとっては、ごまかしがストレートに見えてきてしまう。それを見抜けない人は冷静に読んでいないか、本を読む力がないってことです。

ヒトラーの演説を聴く人々。ヒトラーは「正義」や「平和」を多用。ヒトラー自身がごまかしの連続

 

 

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