松沢呉一のビバノン・ライフ

自身のごまかしを乗り越える—独裁者ヒトラーの時代を生きる[5](最終回)-(松沢呉一)

戦後になっても「戦争がなければヒトラーは偉大な政治家だった」と信じられる仕組み—独裁者ヒトラーの時代を生きる[4]」の続きです。

 

 

 

転向者こそが熱心なナチスの活動家になった可能性

 

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ここまで見てきたように、大島隆之著『独裁者ヒトラーの時代を生きるは、私にとっての最近のテーマにかぶる点があったのですが、純然たるナチスについての記録としても貴重な点が多々あります。

冒頭で、12名の証言者のうち、ヒトラーの演説を生で聴いた人は4名のみだったと書きました。全員ラジオでは聴いているでしょうが、そのことの記述はあまり出てきません。その分、もっと生々しい時代の空気みたいなものが伝わるエピソードが多数出てきます。

1924年生まれのローゼマリー・ベンダー=ラスムスさんはヒトラーに心酔する大伯母に連れられて総統官邸前で演説を何度か聴いていますが、幼かったため、内容の記述はありません。彼女はなにかふざけたことを言ったらしく、大叔母から殴られる体験をしたことを覚えています。ヒトラーは子どもでも侵犯してはいけない存在でした。

彼女の父親は元社会民主党員だったため、教師の職を失って、ひっそりと暮らしていて、その父親から頼まれる形でドイツ少女同盟に参加しています。ヒトラーの独裁政権が樹立され、共産党員が大挙してナチ党に鞍替えしたように、生きるために表層を取り繕う人たちが多くいて、中にはわかりやすく忠誠心を見せるために、ナチ党の活動に積極的になっていき、いわば「身の潔白」を証明するために密告をするようなのもいただろうと想像できます。

中国にもうまく世の中を渡っていくために共産党員になるのがいるそうですしね。形だけの党員で留まるのもいるでしょうが、より利益を受けるために、党の活動に一所懸命になるのもいそうです。

※「独裁者ヒトラー 演説の魔力」よりローゼマリー・ベンダー=ラスムスさん

 

 

早くからナチス体制に疑問を抱くことができた2名

 

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この12名の中に、早くからナチスに疑問を抱いていた人が2名います。2人とも女性です。

1926年生まれのエーファ・ティムさんのお母さんは素晴らしい人でした。

 

「私たち一家は、ユダヤ人の歯医者のもとに通っていました。とても腕の良いお医者さんでしたから。でも、いつもガラガラでした。普通のドイツ人、ヒトラーの言い方では「アーリア人」は行きませんでした。ユダヤ人だけが通っていましたが、私たちにとっては大切なかかりつけ医でした。

母は時に、分別がないほどに勇敢でした。ブランデンブルク門の南西、ティアーガルテンを抜けた先のヴィッテンベルク広場に『エルナ・アードラー』というカフェがありました。今でも名前を覚えているなんて、よほど印象に残っているのですね。母は午後そこに行って、コーヒーを飲むのが好きでした。『エルナ・アードラーに行くわよ。一番おいしいプラムケーキがあるから』と言って、出かけていくのです。エルナ・アードラーがユダヤ人経営であることはよく知られていました。しかし母は『歩道に面した窓際に座って、私たちのようなドイツ人も通っていることを、皆が見ればいいの』と言うのです。ね、まるで分別がないでしょ」

 

 

ティムさんには年下のユダヤ人の友だちがいました。タバコ屋の息子で、いつも一緒に遊んでいたのですが、ある時、タバコ屋が破壊され、一家は行方がわからなくなりました。おそらく強制収容所でしょう。

このこともあって、彼女はナチスを嫌っていたのですが、著者は彼女に「なぜ声を上げなかったのか」と聞きます。これは私には聞けない。だって彼女は独裁政権が樹立された時、まだ6歳か7歳ですよ。抵抗ができたのはそこまでです。

彼女はその質問に呆れつつ、「恐怖です」と答えています。声を上げたら殺される時代だったのだと。

※「独裁者ヒトラー 演説の魔力」よりエーファ・ティムさん

 

 

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