松沢呉一のビバノン・ライフ

『夜と霧』の先に進む—「ナチス残酷博覧会」を終わらせたい[上]-(松沢呉一)

 

 

「なぜ」の解答も複雑

 

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国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP/ナチ)創立一世紀のドイツで吹き荒れる「反ユダヤ」(カッコつき)の動き」に書いたように、また、今までも繰り返してきたように、複雑な問題を簡単に考えてはいけない

「どうしたら、ナチスの再現を防げるのか」は「なぜドイツはああなったのか」をクリアして考えていくしかないのですが、「なぜ」という問いに対する解答も複雑です。ここでも複雑な問題を簡単に考える人たちがいそうですが、どの時代のどの国だって、複雑なことを考えられない人たちが大半ですから、特別にあの時のドイツが突出していたとは思えない。

ドイツ特有の事情としては「第一次世界大戦の敗北とそれに伴うヴェルサイユ条約によるフランスへの過酷な賠償金の支払い」「帝政ドイツの消滅と続くヴァイマル共和国の不安定さ」「世界大恐慌による失業者の増大」「一日にして金の価値が下がる超インフレ」「享楽的文化と先鋭的文化の開花に対する反発」「共産主義の脅威」といった時代背景から説明されますし、「ヒトラーの演説術」「ゲッベルスのプロパガンダ戦略」「女性と若年層の取り込みと労働者層の取り込み」といったナチス側の巧みさからも説明されます。

どれもこれも多かれ少なかれ関わっていて、どれかひとつで説明しきることは困難です。

と同時に、『我が闘争』で独裁を宣言し、ユダヤ人の追放を堂々言い放っていたにもかかわらず、ナチスに投票したのが国民の4割以上に達していたこと、独裁政権が樹立されて以降は共産党員でもナチ党に鞍替えしてナチスを支持した事実は、それらだけでは説明しがたいように思います。『我が闘争』を読んでいた人がほとんどいなかったにしても、メディアが乱立していた時代は左翼系新聞や雑誌が書きたてていたでしょう。あるいは共産党も反ユダヤが強かったので、左翼系新聞もそこは問題にしなかったのか。

ホロコーストについては「もともとヨーロッパに広く存在していた反ユダヤ思想」や「優生思想の世界的高まり」が無関係とは思えません。それがあったからヒトラーの演説は受けました。

つまりはドイツだけの問題ではないってことです。

その上でドイツの国民の背景に何があったのかと言えばドイツ人が広く持つ特性です。セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』はまさにその部分を実体験から的確に見せてくれる内容でしたし、ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』は、その特性が今も続いていることを明らかにしてくれました。そこを見ておかないと、ドイツが今も孕む危険性に気づけず、「戦後のドイツは素晴らしい」で終わってしまいます。

※暴力性ばかり見ているとわかりづらいですが、ナチ党は生活に対する配慮が細やかです。これは1932年の選挙ポスター。「仕事とパン」とだけ書いてナチ党への投票を呼びかけた労働者向けです。

 

 

「残酷博覧会」の悪弊

 

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間もなく「ナチス・シリーズ」は300回になります。「ビバノンライフ」の10分の1がナチス。その中でとりわけ重要な視点は「戦後間もなくのナチス本を読む際の注意」に書いた「戦後間もなくのナチス本にはしばしばごまかしがある」ってことです。

戦後間もなくの「ナチス残酷博覧会」の時代はとっくに終えて、以降はさまざまな人が「なぜドイツはこんなことなってしまったのか」に取り組んでいます。そこにおいては「ありきたりの普通の人々があの時代をどう過ごしたのか」というのが重要なテーマであり、大島隆之著『独裁者ヒトラーの時代を生きる』はその点で見事に的を射た内容でした。

今現在、それどころか、ここ数十年は、むしろ、その視点のない出版物を探す方が難しく、すでに確認したように、今も「残酷博覧会」を開催しているのはナチス・ポルノです。「残酷博覧会」がどういうものであり、どういう人たちが好むのかを正しく踏まえていますから、ポルノをポルノとして販売する限りは問題なし。問題は虚偽を交えたポルノを一般書として販売する人たちと、それを消費する人たちです。

そこと重なる人々が日本版夜と霧のベストセラーを支えました。かくも「残酷博覧会」は魅惑的なのです。だからこそ、そこに自覚的であるべきですし、それを見抜く力をつける必要があります。

それに問題があると言っているのは私だけではなくて、「残酷博覧会」は事の本質を見失わせる効果があったという指摘がしばしばなされています。

 

 

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