松沢呉一のビバノン・ライフ

恋愛やセックスに承認欲求が混じる—男と女の違い[2]-[ビバノン循環湯 587] -(松沢呉一)

不調です。また顔にヘルペスが出てしまいました。早くに察知して薬をつけたのですが、皮膚が破れ、頬が腫れてしまいました。マスクをすれば隠せますけど、外に出る気もしない。

ナチス・シリーズから移行しようとも思っていた中国ネタも不調です。続けすぎたのがよくなかったか。間をあけるため、「ビバノン循環湯」でも出しておきます。

彼氏がゲイだとつきあっていた時間が無駄になる?」の続きです。「彼氏がゲイだとつきあっていた時間が無駄になる?」は、「承認欲求と女性向けエロ表現—田中美津インタビューの疑問点 6」の参考資料として出したものだったため、全部は出さなくていいかと思ったのですが、読み直したら残りもまあまあ面白かったので、「ビバノン循環湯」のボツ復活です。写真の一部を他に転用してましたが、差し替えるのが面倒なのでそのままにしておきます。

追記は2017年に「ビバノン」用にまとめ直した時のものです。

 

 

 

編集者の感想は必須か

 

vivanon_sentence前回見たように、知人に解説してもらって、やっと「相手がゲイだと、つきあっていた時間が無駄になる」という考え方の謎が解けた。これが正解かどうかわからないけれども、今のところ、これ以外に納得できる解釈がない。

言われれば「なるほど」なのだが、言われるまで気づけず、ひたすら当惑したのは、自分の中にない発想だからだ。男の多くは自分の中にない、あっても薄いので、その意味がわかりにくい。とくに私はそう。

男の承認欲求は、仕事を評価されることで満たされやすい。これも程度の差があって、私はこれも薄い。他者に認めて欲しい欲求もあるけれど、ほとんどつねに他者の評価より自分の満足を優先する。「他人には褒められるが、自分では納得できていない原稿」と「誰も相手にしてくれないが、自分では満足いく原稿」とどっちを書きたいかと言えば後者である。

ライターという仕事は、他者の評価を得られないと金を産まない。そこが悩みどころで、「評価されなくていいから、売れて欲しい」「読まなくていいから、買って欲しい」というのが私の偽らざる本音だ。

「原稿を書いたあと、編集者に感想を求めるか否か」という問題があって、私は不要派だ。知人のライターが「原稿を受け取ったら、編集者は感想を言うべき」と書いていたことがあって、「暇な時ならいいとして、あっちも忙しいんだから、感想なんていらんだろ。原稿を依頼してくれることが評価だ」と思った。

あちらの依頼通りのものができたかどうか不安な場合は褒めてくれるとホッとする。しかし、そうじゃなければ編集者の感想はあってもなくてもどっちでもいい。送った原稿が届いた旨の連絡があればいい。

しかし、編集者に褒めてもらわないと仕事が終わった実感がないないライターは少なくないらしい。こういうライターに対しては褒めるのも編集者の仕事である。「噓でいいから褒めて欲しい」と亡くなったライターの石田豊さんが言っていたが、おべんちゃらだったら私はいよいよ不要。

これも承認欲求に関わっているのだろう。同じライターでも、大きくふたつのタイプがいて、これと恋愛やセックスとの関係もいくつかのパターンがありそうだ。「仕事で承認されているので、恋愛やセックスにおいては承認される必要がない」という人もいれば、「どっちでも必要」という人もいそうだが、私の場合はどっちも不要。少なくともその欲求は薄くて、恋愛やセックスにおいては、自分が好きかどうか、したいかどうかが問題。

そして、どうやら恋愛やセックスにおいては、承認欲求が混じってくる程度が女子の方が高いようなのだ。

追記:ただ、インターネットの時代になると、数字がすべて見えてしまうため、雑誌とは比較にならず、反応が気になります。評価までは気にならないですが、数字によってやる気になったり、やる気が失せたりします。

 

 

相手を好きであることと、相手に好かれていることの違い

 

vivanon_sentenceすべてがそうなのではないが、女たちの中には、男とつきあっている時に、「自分を認めてくれている人がいる」という状態に幸せを感じるのがいる。

魅力ある女として自分を認める男がいる。その男を通して自分が魅力的であることを確認できる。そこに安心がある。だから、つきあっている相手がいないと不安でいっぱいになる(追記)。

男にもその感覚を持つのはいるが、それよりも「自分が好きな相手とつきあえている」という状態自体に幸せを感じる度合いが強いように思う。

極端な話、男の多くは自分の好きなタイプとつきあえれば、相手がどう思っていようと知ったことではない。現実にはそこまで割り切れるわけではないにしても。

対して女は「自分が好きな相手かどうか」よりも、「相手が自分を好き」に重きがある。あくまで傾向であって、例外は多数あれども(いちいち注釈を入れないが、以下、すべて男女の傾向の話で、当然、例外はある)。

この差が、男と女の行動にとって、大きな違いになっているようだ。

追記:一週間ほど前のこと、「好きな人がいるから、その結果としてつきあうという状態になる。でも、女子の中には好きな相手がいるわけでもないのに、“彼氏が欲しい”と言っているのがいて、全然理解できない」と語る女子がいました。彼女は他のことについても考え方は私に近い。だから、同性でも理解できないのです。女子でも「女子的考え方」が理解できないのはいて、男でも「彼女が欲しい」と言っているのはいますが、それより「セックスしたい」と言っているのが多いかと。

 

 

next_vivanon

(残り 1751文字/全文: 4041文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ