松沢呉一のビバノン・ライフ

自警団を避けるためにナチ党を待望する論にしか見えない—「コロナ自警団」はファシズムか[1]-(松沢呉一)

「ボツ復活」シリーズです。昨年の5月にざっと書いてあったのですが、私には単純すぎる論に見える元記事に対して、現実の複雑さをぶつける内容で、複雑な現実の説明に手間取って整理がつかなくなって挫折したものです。しかし、時間が経って、その複雑さこそに意味があることがわかりやすくなってきているので、奮起して完成させました。時制は今現在に直してます。

なお、「瀬木比呂志著『絶望の裁判所』でもっとも注目した指摘—第一ラインと第二ラインを見極める[上]」「個のルール・コミュニティのルール・社会のルールを峻別すべし—第一ラインと第二ラインを見極める[下]」は、この中に組み込もうとしていたのですが、別建てにしました。そちらも参照してください。

 

 

田野大輔・甲南大学教授の発言に異義あり

 

vivanon_sentenceこのインタビューには頭を抱えました。「呆れて頭を抱えた」というのでなく、「どう考えていいのか頭を悩ませた」という意味です。

 

2020年5月2日付「朝日新聞デジタル」より

 

批判する前に、同意できる点を軽く挙げておきます。

この授業の意義は十分に理解します。自身がそこに放り込まれると、パーツとしての行動をとってしまうことを実体験し、そのことを客体化することは重要な体験になりましょう。ナチスを支持したドイツ人と自分との間にさほどの距離はないことを体験を通して知るってことです。

その距離がつかめていないと、「ヒトラーを崇拜し、ナチスを支持したドイツ人、バカでえ」で終わります。これで終わると、どうしたら回避できるのかも考えなくなってしまいます。

私はシュミレーション癖があるので、「もし私があの時代のドイツにいたら」はつねに考えますけど、このシミュレーションには大きな欠陥があります。私はホロコーストもナチスドイツの敗北も知っているという点です。「ナチスは悪」という答えがあるために、それに対抗する意識を持とうとしてしまいます。その答えがなく、よって対抗する意識がデフォルトになっていないところで、周りに反してでも自分の判断ができ、行動することができるのか否かを確認すべきです。

「歴史的な事実」「結論が出ている事実」については簡単に自分の姿勢を明らかにすることができますが、「では、ウイグルをどう考えるのか」という現在進行中の事実に対しては自身で考える必要が出てくる分、答えは簡単には出せない。出せないけれど、それは連続する問題なのだととらえることがまずは重要です。

SNSはそれをコンパクトに体験できる場であって、「周りに合わせる」が絶対的な行動原理の人たちは、簡単に群集心理に流れます。私もそこから完全には逃れられない。「だから、そうならない使い方をしよう」「使うこと自体を制限しよう」と考える人はいいとして、考えられない人たちは群集心理に流れている自分を客体化してとらえることもできない。

さんざん見てきているように、「誰かを叩く」「何かを批判する」というモードが生じると、事実関係の確認もせず、そこに乗っかる人がいかに多いか。そういうタイプの人たちはそれを直視せず、なぜ自分は間違えてしまったのかを検証することもなく、すぐさま次の群集心理に入り込みます。

だから、それを体験して自覚し、検証する場が必要であり、この授業は有効だと思いました。

 

 

ナチスは多くのドイツ国民にとって魅力的だった

 

vivanon_sentenceまた、「ファシズムは気持ちいいからこそ危ない」という田野教授の言葉にも同意します。

多くのドイツ人にとってナチスは魅力的であり、ヒトラーの言葉は心地よかったのです。ドイツ人の優秀さを強調し、ドイツ人が間違っていたのでなく、ユダヤ人や共産主義者が妨害をしているのだとして、わかりやすい「誰かのせい」を見せてくれましたし、ナチスは失業の解消や豊かな生活も実現してくれ、目先の利益を国民は享受しました。

多くのドイツ人はユダヤ人が連行されていることは知っていても、また、強制収容所のことも少しは知っていても、アウシュヴィッツはポーランドですから、意識の外に追いやることが可能。行ったことのある人が多く、距離もさしてない香港で民主化活動が潰され、逮捕者がいくら出たところで、日本人にとっては国外のことであるのと変わらない。現にそうしている人が多いように「よその国の出来事」として知ろうとしないことが可能です。

ドイツにおけるユダヤ人はさほど数が多かったわけではない上に、ダビデの星をつけるようになるまで、皆が皆、ユダヤ人であることをわかるようにはしてませんでした。

そんな存在より、自分の生活を優先し、失業を解消してくれて、「快適な暮らし」「豊かな暮らし」「楽しい暮らし」を夢見させてくれるナチスは「不安から安心へ」「不快から快へ」の転換でした。

その「快の転換」に我々もしばしばごまかされていないのか、あるいは自身でごまかしていないのかを繰り返し自問しておく必要があると思います。

※田野大輔著『ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか』 上のインタビューはこの本が出たことがきっかけでしょう。無理やりコロナ禍にかこつけなかった方がよかったのに。

 

 

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