松沢呉一のビバノン・ライフ

内容のない勝海麻衣を擁護する内容のないインタビュー—パクリで自己破滅していく人々[ボツ編1]-(松沢呉一)

間が空きましたが、ボツ復活シリーズです。

オリンピックに関心がなくても、福島の桃がうまいだの、外国人にはコンビニおにぎりの開封が難しいだの、ルールに反して選手村から脱走したのがいるだのといった話題はイヤでも目や耳に入ってきます。オリンピックをやる以上、脱走するのがいるのは織り込み済みでしょう。逃げ足速いし、高い障害物を飛び越えるし。

話がもう古くなりましたが、その中でちょっと気になっていたのは伊藤潤二の「首吊り気球」をパクったとしか思えないアート作品です。パクリだとしてもアイデアレベルですから、著作権侵害とは言えないですが、パクリはパクリです。

オリジナルは大量に人が殺されていく話ですから、オリンピックには相応しくなく、とくにコロナ禍には相応しくなくて名前を出せなかっただけで、実のところ、事前に伊藤潤二に話は通していたんじゃないかとも想像しましたが、無断だったらサイテー。

アートなんだから、せめて「参加国の実在の人々の顔を気球にしました」「オリンピック終了とともに爆発して、顔の人物もコロナウイルスで死にます」といった付加価値をつける程度の頭が働かなかったんですかね。

でも、パクリにしないと東京オリンピックに相応しくないいのか。思い返せば、私の中での東京オリンピックはエンブレムのパクリ疑惑から始まりました。パクリの祭典。

パクリと言えば勝海麻衣というのがいましたね。彼女はオリンピックでアーティストとして起用される予定だったという話が当時出てましたが、早々にパクリで自爆しました。華々しく散るのはオリンピックの直前にすべきでした。

勝海麻衣については「盗用したものについてはすべて封印し、一から出直せばいいんでないか」と「その後のケア」の提案も書いていたのですが、勝海麻衣から大学の責任に興味が移り、「なぜ美大は知財についての教育をしないのか」という疑問を抱き、不正という意味でカンニングにテーマが拡大しているうちにどうでもよくなって、勝海麻衣について書いてあった未発表記事はすべてボツにしました。

ボツにしたものの中で、勝海麻衣擁護をした人物を批判した記事があります。読み直したら、あまりの空疎さに唖然としました。中身がないのでボツにしたのかもしれない。これを大学すべてのレベルとするのは他の大学に失礼ですから、東北芸術工科大学のレベルとしてお楽しみください。

2019年に書いたものです。

 

 

芸術が模倣から始まることが、盗用の正当化になるはずがない

 

vivanon_sentence

インターネットの時代には、事が起きた時に、付け焼き刃の発言をしたり顔で語り出す人がいるものですが、とくに著作権についてはその傾向が強いように思います。「自身の感覚」が通用するのだと思い込める分野ですから。

たとえば「芸術とは模倣から始まる」みたいなことを語る人たちが今回もいました。

それがどうしたんですかね。模写することは家庭内や授業内でやっている限りはなんら問題にならず、現に法に則って皆さんそうしているわけですよ。「25歳にもなった大学院生が金を得て公開の場で模写した作品を自身の作品であるかのように見せかけたこと」が問題になっているのに、そんなことを言い出すのになんの意味があるのやら。

以下で勉強し直した方がいいと思います。

 

 

 

これは文化庁のサイトに出ている「楽しく学ぼうみんなの著作権(小学生向け)」です。「勝海麻衣作品に見る「著作権法上の特例が外にはみ出てしまった例」—ゆるゆる著作権講座 13」に書いた話とほとんど一緒です。法を根拠にしているのだから同じになるのは当たり前ですが、私の書いていることは小学生レベルとも言えます。

文化庁は他にもわかりやすい教材をネットで公開していますので、参考にしてください。

 

 

東北芸術工科大学の教授…

 

vivanon_sentence類似した発言をしていた人は他にもいましたが、芸術とは模倣から始まる」という発言をしていたのは片岡秀彦って人です。

 

 

中身がまったくないインタビューでビックリしました。この人がまた「ビバノン」で話題の東北芸術工科大学の教授なのですよ(「引用まで許諾がいると主張する東北芸術工科大学—続・著作権切れの著作物」「パターナリズムから抜けられない大学教員—懲戒の基準[30]」参照)。どんな大学だよ。

 

 

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