松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツの都市部ではない町や村のナチズム—山本秀行著『ナチズムの記憶』[1]-(松沢呉一)

 

 

人が死なないナチス本

 

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国際ロマンス詐欺も中国共産党も環境問題も、このところのネタは全部コケているので、私に求められているのはやっぱりナチスだなと改めて実感している次第。「ビバノン」はナチス専門ウェブマガジン(笑)であることを忘れそうになってました。

今まで何度か登場した山本秀行著『ナチズムの記憶——日常生活からみた第三帝国』は私にとってはこの上なく重要な内容だったのですが、前提を説明するのが面倒で放置してしまいました。しかし、これを取り上げないと私も残酷博覧会に関与してしまいかねないと思って改めて取り上げることにしました。

この本は 80年代以降に増えた「一般のドイツ人は何を考えていたのか」をテーマにした典型的な一冊です。「人が死なないナチス本」であり、『夜と霧』のような残酷博覧会を好む人たちには用のない切り口ですが、「なぜドイツはああなったのか」を考える上では重要です。

「ヒトラー→ゲッベルスやヒムラーなどナチス高官→ルドルフ・ヘースなど収容所の責任者→収容所のSSや看守→カポ」といったところが戦後裁判の対象になったわけですが、それらを支えた人々がいます。罪には問われなかったけれども、ナチスの言い分を拡散し、ユダヤ人への憎悪を煽ったメディア関係者、各地域の党の幹部、経済的に支えた財界人、それらの人々の家族なども責任はゼロではない。さらには責任があるのかないのかわからない層がいます。一般の国民です。

それらの人々があの時代をどう過ごしたのか、ナチス政権に加担はしなかったのか。

そのことを考えていくと、すべては連続していて、その連続性は自分自身にも及ぶことに気づきます。

 

 

ケルレとホーホラルマルク

 

vivanon_sentenceこの本では、中部ドイツに位置するヘッセン州メルズンゲン郡のケルレという農村と西部ドイツに位置するルール地方のホーホラルマルクという炭鉱町のふたつの地域を取り上げています。

ケルレ村はヒトラー独裁政権が樹立された1933年の時点で人口千人足らず。農業が強いのですが、その頃には外に働きに出る人たちもいました。カトリックはほとんどおらず、圧倒的にプロテスタントが強い。 

対するホーホラルマルクは、1930年代の人口は出ていないですが、おそらく1万人には満たない。この数十年の間に炭鉱で開発された町で、ほとんどの住民は鉱夫とその家族です。住民の6割以上がカトリックです。

このふたつの町村で行われた調査(著者の山本秀行氏が関わったものではなく、ドイツ国内の調査)を再構成して分析したものです。今まで私には見えていなかった風景や人々、ナチズムの多層な浸透とそれを受け入れ、あるいは抵抗するコミュニティの論理が見えてくる。

私がドイツ語が読めたとして、オリジナルの報告集を読んだところでさっぱりわからなかったでしょう。どんな場所かもわからず、そこで語られる人間関係がどういう背景によって成立したかもわからない。著者の的確な説明があってやっと理解できましたが、情報量が多い上に、知らないことばっかりです。当たり前で、ケルレやホーホラルマルクなんて地名さえ初めて知ったわけで、そこの誰々さんがどうしたなんて話を知るはずがない。

もう一点著者の役割で大事なのは、証言に対してツッコミを入れてくれていることです。「これは本当だろうか」と。ここまで繰り返してきたように、人間はいい加減。自分をごまかすための嘘をつきます。意識していなくても、記憶を都合よく改竄します。農民であっても鉱夫であっても同じ。あるいは『夜と霧』がそうであったように、ユダヤ人だって同じ。私ら日本人も同じですが、とくに戦争の前と後で価値観が一変した国ではそれが顕著になります。

それを疑う姿勢は大島隆之著『独裁者ヒトラーの時代を生きる—演説に魅入られた人びとと「つまずき石」』に通じます。私もどちらかと言えば疑いながら読む方だとは思うのですが、疑うには疑うなりの根拠があるわけで、この根拠が十分にないと、的確に疑うことはできず、あっさり信じてしまいそうです。

Kohle war nicht alles: Hochlarmarker Lesebuch. 100 Jahre Ruhrgebietsgeschichte」(1987) ホーホラルマルクについての元調査「ホーホラルマルク読本」

 

 

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