松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツ・ナチ党と中国共産党が重なる—脳内地図を修正する試み[9](最終回)-(松沢呉一)

東アジアに共通するブラックフェイス騒動—脳内地図を修正する試み[8]」の続きです。

このシリーズはいっぱい書き溜めてあるのですが、読む人がほとんどいなくなったので、無理やりここで終わります。書き溜めてあったものは数年後に「ボツ復活」で。

 

 

 

ナチスのドイツ、共産党の中国

 

vivanon_sentence

ナチスの強制収容所とウイグルの強制収容所、ナチ党と中国共産党、あるいはその時代のドイツ人と現在の中国人は私の中でどうしても重なります。なおかつ、その特性は日本人とも重なる点があることはこれまで繰り返してきた通り。

ちょっと前に、多くのドイツ人たちはユダヤ人が連行され、どこかに連れていかれることを知っていても、どうでもいいことだったと書きました。ユダヤ人が殺されているかもしれないことを知らなかったのではなくて、知ってもなんとも思わず、それより大事なのは仕事を得ること、車を買えるようになったこと、旅行に行けるようになったことであり、それを実現してくれたのはヒトラーでした。

たとえば今、近くのコンビニにいるネパール人たちが根こそぎいなくなって、どうやら警察に連行されたようだとわかっても、ほとんどの人は何もしないでしょう。私は何度も話しているネパール人がいるので、そいつらに関しては、警察に問い合わせるかもしれないですが、あとは知らん。人間関係ができていないとそんなもんです。どこの誰か知らん人が路上でケンカしていても、殴られていても、素通りするのと同じです。

ユダヤ人に対しても同じでした。とくにドイツの農村部では、ユダヤ人はほとんどいませんでしたから、接点がない。

山本秀行著『ナチズムの記憶——日常生活からみた第三帝国』はまさにそのような「ユダヤ人との接点のない町」をピックアップして、そこでどうナチスが浸透していったのかを見る内容ですが、この中にマール(Marl)市にあったユダヤ人経営のデパート「フリードリッヒ商会」で勤務していたエリザベート・ヘニッヒの証言が取り上げられています。

彼女はユダヤ人ではないのですが、「開戦から一年後にはみんにな知ってました」と証言しています。

 

 

「それぞれの家族がどこに送られ、どうなったのかという具体的なことまではわかりません。でも彼らが強制収容所に送られて、ガスで殺され、大量にうめられた、ということはあとになって知りました」。それはまだ戦争が終わるまえまことですか、という質問に「はいそうです」と答えている。

あなたのいうことは、ドイツ人のかなりの部分が、ユダヤ人になにがおこっているか知っていたことになりますが、そうですか、という念おしには、「そうです。普通ならそうです。そんなことがおよそ可能だったということを認めたくないので、頭の外に追いやっているのだと、わたしは思います。それがわたしの考えです」と述べている。

 

 

この本はドイツでの調査を再構成したもので、著者の山本秀行は、その報告書を読んでこれを書いています。

これは彼女がユダヤ人経営のデパートで働いていたことによる感想ではないかとも思われます。

 

 

マール市のつまずき石

 

vivanon_sentenceマール市のサイトにはつまずき石をガイドするページがあって(上のSS)、7個のつまずき石が出ています。この中にはエホバの証人が含まれているので、ユダヤ人はもっと少ない。

マール市はルール地方にあって、炭鉱で栄えた町であり、鉱夫にはほとんどユダヤ人はいなかったはずです。土地を持たないユダヤ人は子どもの教育に力を入れる傾向が強かったことも今まで書いてきた通りであり、そのため、医師や弁護士、科学者、ジャーナリスト、文学者を多く輩出しました。鉱夫たちも生まれ故郷を離れて、収入のいい炭鉱を移動していく流動性の高い仕事でしたが、相当の事情がない限り、鉱夫になったユダヤ人はいないと思われます。

1933年の段階で、マール市にいたユダヤ人は33人。小売や流通、金融、医療、教育関連でしょう。国外に逃げた人たちや連行されても死に至らなかった人たちもいましょうし、すべての犠牲者のつまずき石がすでに設置されているわけではないかもしれないですが、市となった1936年の人口は32,530人。ユダヤ人は千人に1人程度。ミュンヘンやベルリンとは違う。

身近にいなかったためもあってか、それまではユダヤ人に対する迫害はなかったのが、ナチス政権以降はいやがらせが始まり、突撃隊が「フリードリッヒ商会」に出入りする人々の写真を撮り、「ユダヤ人の店で買うな」といった立て札を立てます。

この年に店に暴徒が乱入して略奪されそうになりながらも警察が止めますが、これで店を閉じることに。

1936年から、映画館への立入りが禁止され、町中に「ユダヤ人おことわり」の横断幕が設置されます。

※戦後のものだと思いますが、マール市のサイトよりマール市の繁華街

 

 

next_vivanon

(残り 1868文字/全文: 3915文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ