銭湯好きのギニア人がきっかけで2009年の「血の月曜日」を知ることになった—ギニアのクーデターその後-(松沢呉一)
「その後のハリケーン・アイダとインドの熱病とミャンマーのクーデター/現在のギニア—顔の見える場所・見えない場所」の続きですが、あの回はあんまり読む人がいなかったので、カテゴリーだけ残して、単発で出していきます。
ギニア・クーデターのその後
その後もギニアのクーデターについてはチェックし続けています。
昨日のafricanewsです。
ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)はクーデターを起こしたママディー・ドゥムブヤを中心とした軍を批判し、拘束したアルファ・コンデ大統領の解放を求め、制裁を決定。ECOWASの代表をガーナに乗り込んで、速やかな民政への移行を求めています。
この報道はECOWAS代表としてギニア入りしたガーナのナナ・アクフォ=アド大統領に対して、ギニアの国民が抗議しているという内容。
「アルファ・コンデが憲法を改正して三期目をできるようにした時、ECOWASはどこにいたのか。国民が不正と不平等にで苦しんでいる時、ECOWASはどこにいたのか」とプロテスターは怒ってます。「なんにもしなかったくせに、なにを偉そうにしゃしゃり出てきてんだよ」ってことです。
反政府運動をしてきた勢力にとっては、逮捕され刑務所に入れられていた人たちも釈放されて、国外に逃げていた人たちも帰国してますから、クーデターを支持しましょう。全員が全員、クーデター支持ではないにせよ、一定国民の支持のあるクーデター。
しかし、国外の人権団体はおおむね慎重。
この国の歴史を見ると、慎重にならざるを得ず、この先民主化がスムーズに実現するとは思えなくなります。
繰り返されるクーデターと国民への裏切り
ギニアのドキュメンタリーを観ているんですけど、フランスの植民地だったため、公用語はフランス語で、フランス語のドキュメンタリーが多くて、英語字幕が入ってないとお手上げ。
英語字幕が入っているものを選んで観ているうちに行き着いたのは「血の月曜日」でした。
以下はアムネスティの映像。
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