松沢呉一のビバノン・ライフ

何度でも言う、歴史から学べ—道徳がフェミニズムに見える人たちの仕組み[2]-(松沢呉一)

全国フェミニスト議員連盟の人たちはなぜ自分らがフェミニストであると思えているのか—道徳がフェミニズムに見える人たちの仕組み[1]」の続きです。

 

 

 

口紅の意味

 

vivanon_sentence前回確認したように、全国フェミニスト議員連盟は一世紀も前の道徳を今も頑なに守って、女が公然と腹やへそを出すことを封じようとしています。これは戦前の国家が望む考え方であったと同時に、腹部を守ることの背景にある母性保護は日本のフェミニズムにおいての重要な柱でもありました。そこは合致していたのです。

この辺についてはさんざん書いてきたので、バックナンバーを確認していただきたいのですが、日本のフェミニズムに多大な影響を与えたエレン・ケイは個人主義と母性保護を合体させた思想を持っていた人物です。日本では個人主義の部分を消して、母性保護思想のみを受け入れました。それが大きな間違いです。

平塚らいてうもその流れにありますが、平塚らいてうは相当に悪質な優生思想の持ち主であり、母性保護と優生思想を徹底したのはナチスでした。

個人主義を排除した母性保護思想はただの家父長制道徳に等しく、これがフェミニズムならナチスほど立派なフェミニズム国家はないでしょう。

この歴史は克服しないとまずいし、与謝野晶子のように、母性保護については懐疑的だったフェミニストは当時からいたんですから、そっちから学ぶべきです。

※「SamOfUs」 ヨーロッパでもなお職種によっては口紅とヒールの強要がなされていることを批判する記事

 

 

口紅は発情した性器の代用

 

vivanon_sentenceその上、全国フェミニスト議員連盟の西山千恵子さんは赤い口紅をベッタリ塗って公共放送たるNHKに登場し、女をアピールしているんですから、どこに足場があるのかよくわかります。

口紅は、サルが二足歩行をし、かつ衣服で隠すようになったために、発情して充血した性器を見せられなくなったことの代用という解釈を今現在口紅を見た瞬間にそのまま受け取る人はいないとしても、現にほぼ女のみがすることを強いられ、今なお明示的、暗示的に「化粧くらいしろ」と言われることもあり、それを批判する人たちが多数います。

私自身は、強要はよくないとしても、口紅をつけるか否か、化粧をするか否かは個々人で決定すればいいことと考えます。腹を出すか否か、へそを出すか否かも同じですが、全国フェミニスト議員連盟の論理からするなら、女らしい化粧、女らしい口紅、女らしい衣装を自ら好んでまとって公共の電波に出るのはその現実をなぞり、肯定することです。腹を出すことを否定しながら、道徳以外にこれを成立させる基準は思いつきません。

もちろん、原資が税金である予算で制作した警察の動画と、全国フェミニスト議員連盟のメンバー個人の行動とは別ですが、全国フェミニスト議員連盟の名前での行動である以上、行動の原資は税金であって、公的性質を帯びることは避けられない。あくまで全国フェミニスト議員連盟の考え方からすれば、ですよ。

道徳的に正しい女らしさ(つまりは社会が歓迎してきた女らしさ)を実践し、道徳的に望ましくない女の表現を潰す全国フェミニスト議員連盟は道徳を守らんとする団体なのです。

 

 

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