歴史観の欠落・世界を見る視野の欠落・「私」と「社会」を峻別する意思の欠落—道徳がフェミニズムに見える人たちの仕組み[3]-(松沢呉一)
「何度でも言う、歴史から学べ—道徳がフェミニズムに見える人たちの仕組み[2]」の続きです。
世界の動向にも興味がない糞系フェミ
歴史に対する無関心が、内面化した道徳規範を疑うことなく、フェミニズムの主張として提出する無様さを生み出していることを前回指摘しましたが、これに加えて、もうひとつこの国の多くの自称フェミニストたちに共通する大きな欠落があります。日本以外に対する興味が薄いのです。「自分自身と直接関係してこない事象に興味がない」としてもいいかと思います。
「自分は今どこにいるのか」を見据えるふたつの軸、時間軸と空間軸のどちらもが弱い。もちろん人によりけりではあれども、国外のフェミニズムの動きに関してエロライターの私程度にも関心がないフェミニストってまずいでしょ。
昨今の世界的なフェミニズム視点の問題としては、宗教道徳を基盤とする勢力による中絶の制限があります。カトリックが主導し、政権党PiSが中絶を限界まで違法として、LGBTの権利に対する制限を進めるポーランドがその筆頭。米国テキサス州の中絶禁止法もその流れです。
日本では統一教会等、一部の教団がこれに追従しそうですけど、一般のカトリックやプロテスタントがその点を露骨に打ち出すことはありそうにないため、当面、無関心でも支障はないとは言えますが、関心さえないのはフェミニストとしておかしくないかとの思いがあります。
あれだけポーランド、あるいはそれに連帯する国々のフェミニストたちが奮闘しているのだから関心くらい抱いてもいいし、日本の教団や宗教者たちだっていざという時はあっち側に立つかもしれないわけで、いざという時のためにフェミニスト側も準備はしておいた方がいいと思います。
※ポーランドのフェミニスト・グループWarszawskie DziewuchyのFacebook投稿より。レインボーフラッグとポーランド国旗の合体。前に見たように、ポーランドではLGBTグループ(とくにアナキスト系)とフェミニズム・グループは共同行動が多いようです。
ポーランドのフェミニストたちの重要性
「なぜ日本の自称フェミニストたちは国外の出来事に無関心なのか」というテーマは、「なぜ日本の自称フェミニストたちはプッシー・ライオットに無関心なのか」というテーマ以来、たびたび取り上げています。
その旨、説明しましたが、ボーランドのフェミニストたちが何とどう闘っているのかについて私が何度も書くしかなくなったのは、報道はなされつつも、フェミニストの立場から正確にその説明をしたものが日本語では少なかったためです。
検索をすると、カトリックの立場から書かれたのではないかとも思えるフェミニスト批判が上位に来てました。こりゃまずいぞと。本当はさしてまずくはなくて、そもそも興味がないのですから、検索してカトリックの立場を読むこともないのですが、私はポーランドのフェミニストたちにはシンパシーがあるし、私自身興味のあるテーマなのでやりましたさ(「中絶をめぐるポーランドの記録的なプロテストとストライキ—ポストコロナのプロテスト[40]」「中絶全面禁止を図るカトリック=PiSとそれに反対するウィメンズ・ストライキ(Strajk Kobiet)—ポストコロナのプロテスト[41]」「ポーランドのデスボイス系フェミニストを支持する—ポストコロナのプロテスト[ボツ編6]」「ポーランドのカトリックは何を求め、フェミニストたちは何を求めているのか—ポストコロナのプロテスト[ボツ編7]」)。
ためしにたった今「ポーランド フェミニズム PiS」で検索したら、「ビバノン」が上から2番目に来ます。「ビバノン」でポーランドのフェミニストを取り上げたってほとんど読まれないですから、いかに情報が足りていないかですし、いかに興味を抱く人が少ないか、です。
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