松沢呉一のビバノン・ライフ

若い女の喫煙は青踏社時代から始まった—時事新報社刊『たばこ』(昭和6年)より[上]-(松沢呉一)

禁煙して1ヵ月で物足りなく思っていること—コロナ禁煙のじいちゃんとの会話」の続きです。

 

 

90年前のタバコの本を読む

 

vivanon_sentence私が禁煙したことを知って、「休憩がてら1本どうですか」とタバコを勧めてくれる人がいないことが無性に寂しい。このまま1年経っても2年経っても、禁煙を妨害してくれる人を跳ね除けることによって完結する禁煙達成の満足感を得られないと、不完全燃焼感に耐えられずに、タバコを吸ってしまいそうです。

とりあえずタバコについての本でも読むかと思って、90年前の本を読み始めました。その名も『たばこ』(タイトルは平仮名表記ですが、本文は「煙草」で統一されているため、今回は私もそれに合わせて「煙草」で統一します)。

一世紀近く経っていると、リアリティも薄らいで、これを読んだからって吸いたくはならんだろうと思いまして、前々から持っていた本ですけど、読むには至ってませんでしたので、この棋界に読みました。

時事新報社が、ホテルで「煙草に関する趣味の座談会」を開催し、この時に出てきた話を新聞の連載として掲載し、評判が良かったため、本にまとめたということです。

20余名の参加者がそれぞれ煙草についての短い薀蓄、体験談を披露していて、「百物語」のような趣向。後半にそれぞれの参加者が対話をする座談会形式の文章が軽く掲載されています。

煙草の歴史的な話についてはWikipediaにも出ているでしょうし、国内外の煙草の葉の優劣、紙巻きと葉巻と煙管とパイプの違いについての個人的体験や思い入れについてここで紹介しても面白みがないでしょうが、この参加者には女性らもいて、「女性と喫煙」について語っています。これまで「ビバノン」に書いてきたことの裏付けがとれつつ、知らなかったこともあったので、それを中心に見ていきます。

 

 

青踏社時代から変化した「若い女と煙草」

 

vivanon_sentence女性参加者の一人は厨川(くりやがわ)蝶子。『近代の恋愛観』の著者である厨川白村の妻です。厨川白村は京大教授ですから、生活は安定していて、鎌倉に別荘を持っていたのですが、家族で避暑として別荘にいる時に関東大震災の津波に飲まれてしまいます。助けられるのですが、泥水を飲んでいて、翌日死亡しています。

どうやら蝶子は夫亡きあと、自身でカフェーか旅館でも経営していたのではないかと思われることを話していますが、そこは省略して、「煙草と文学」と題された一文より。

 

農夫が野良仕事に出て、休み乍ら鉈豆煙管なんかで喫(の)んでゐる。あの情景は見てさへ大変好いものだと思ひます。それから芸者などが、役者の紋の付いた煙草入など帯の間から取出して村田の煙管の細いので気取って喫んでるのなど好いものです。近頃モダンな女学生がミスブランシュレデスなんかを一寸咥へてるのなんかを見受けますが、大変好い恰好です。又芝居で、仁左衛門なんかが御隠居に扮して煙草盆を持ちながら出て来る恰好は劇を活かして居ります。如輪杢の長火鉢にいなせな姉御なんかが袖煙管などで喫んでるあの恰好も好いと思います。で、私の嫌ひなのは、お姑さんがお嫁さんの前で、意地悪くポンポンと煙草を叩く(笑声)ところです。あれぢゃ嫁の命縮めです。

それから長い煙管で煙草を喫みますのは大層好いと思ひます。しかし吉原なんかで長い煙管で引っ張り込むのを見たことがありますがあれはよくありません。(略)

昔の若い女は煙草を喫まなかった様で、お染、久松が煙草をやり取りしたこともござさいませんし、お宮なんかも喫んでをりません。近頃になっては青踏社時代から若い女の方が煙草を喫むようになったんぢゃありませんかしら。それまでは主に玄人側の方が喫んだもので、たとえば芝居で一文字屋のお才は忠臣蔵でも煙草を喫みますね。近頃になっては知識階級の方が女でも煙草を喫むやうになりました。

 

如輪杢は「にょりんもく」または「じょりんもく」と読み、木目の美しさを表現する言葉のひとつ。

冒頭に「農夫」とありますが、これは「農婦」だと思われます。つまり、すべては女の喫煙について語っていて、その多くに肯定的な評価を下しています。

 

 

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