松沢呉一のビバノン・ライフ

レイプ体験、売春体験を経て「私を犯して(Baise-moi)」—ヴィルジニー・デパント著『キングコング・セオリー』[3]-(松沢呉一)

14歳からのヤリマン生活、そしてレイプ体験—ヴィルジニー・デパント著『キングコング・セオリー』[2]」の続きです。

 

 

アンチ・フェミニズムのフェミニスト、カミール・パーリア

 

vivanon_sentence17歳でレイプ体験をし、米国のフェミニストであるカミール・パーリアの文章で救われたヴィルジニー・デパントは、『キングコング・セオリー』で「カミール・パーリアはおそらくアメリカでもっとも賛否の分かれるフェミニストだ」と評しています、事実、カミール・パーリアは保守系フェミニストから毛嫌いされ、「アンチ・フェミニズムのフェミニスト」という言い方をされています(とカミール・パーリア著『セックス、アート、アメリカンカルチャー』に書かれてました)。売春の非犯罪化を主張するだけで容認できないタイプのフェミニストに嫌われなければ信頼できるフェミニストにはなれないでしょう。

「いかにレイプは大きなトラウマになるのか」が強調されて、一生立ち直れない傷を残す。そのくらいに重大な不幸なのだから、女は細心の注意をもってその事態を避けなければならないというのがそれまでのレイプ論であり、レイプ対策法だったわけです。そこにおいては、レイプの被害者は注意を怠った点についての責任を負うのであり、ミニスカートでヒッチハイクをするヴィルジニー・デパントのような女たちはそうなるべくしてなったに過ぎず、その傷は自身の責任として一生抱えて生きていけってことです。

これに対してカミール・パーリアの言葉は、ヴィルジニー・デパントにとっては回復のきっかけとなりました。ヴィルジニー・デパントは本来彼女が付与されている自由を行使していただけです。

この部分は『キングコング・セオリー』の中でももっとも劇的な箇所です。ただやりたいことをやって楽しく生きてきた彼女の転機でもありました。行動を変えないために、カミール・パーリアの思想が必要になりました。

のちにヴィルジニー・デパントはカミール・パーリアにインタビューをしていて、その時にこの件を聞いています。

 

彼女はこう言った。「60年代には、女子は夜の10時以降、大学の寮から出ることができませんでした。男子学生は好きなようにしていたのにです。私たちは『どうして扱いが違うんですか?』と聞きました。すると、『世の中には危険が多く、レイプされるかもしれないからです』と説明されました。そこで言ったんです。『じゃあ、レイプされる危険をおかす権利を私たちにください』って」

 

社会は女を庇護するのが当たり前。女は命がけで自身の貞操を守るのが当たり前とされてきた中で見失われてきた「個人の権利」を奪還する試みです。これを見えなくしてきたのはパターナリズムです。パターナリズムは男にも働きますが、女に対してより抑制的に働きます。男だって外出すれば強盗に殺されるかもしれない。男が男にレイプされる事件もあります。それでも、男はそれを引き受け、対抗する権利がある。対して女にはない。

既存のレイプ論は「女のため」として自由の制限という側面を隠してきました。むしろ自由を制限するために、レイプ被害は治癒されることがないとされてきたのかもしれない。

この延長上にあるのは、「男はセックスワークをする自由があるが、女にはその自由はない」という論です。たとえば「男はワクチンを接種せず、感染するリスクを負う自由がある。しかし、女にはその自由はない」という主張はおかしくないか? 「男は運転して事故に遭うリスクを負う自由がある。しかし、女にはその自由はない」という主張はおかしいでしょ。しかし、性の領域ではこのおかしさが今も主張され続けています。

Camille PagliaFree Women, Free Men: Sex, Gender, Feminism』 2018年刊のエッセイ集。この人の本はもっと邦訳されていいのに。

 

 

ファック・ミー(Baise-moi)

 

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ヴィルジニー・デパントはこの体験もヒントにしつつ、1994年に小説『ベーゼ・モア(Baise-moi)』(英語で言えば「ファック・ミー」ですが、以下のトレイラーでは「レイプ・ミー」)として発表。これはヴィルジニー・デパント自身の監督によって映画化もされますが、ポルノ扱いされて上映できなくなる騒動もあって、大いに話題となります。

 

 

 

 

通常、スキャンダラスなイメージやポルノのイメージがつくと、なかなか拭えないものですが、現在は作家としての地位を確立し、数々の賞を受賞するに至り、かつ彼女のフェミニズムは左右のどちらからも拒否されつつも、一定の地位と支持を得ているようです(フランスの旧来の左派政党支持のフェミニストは道徳派のフェミニストと大差ない。日本も同じか)。

キングコング・セオリー』によく滲んでいるように、彼女は普遍主義、個人主義の考え方が強い人です。フランスのフェミニズムでは普遍主義、個人主義の強い人々による勢力が一定の力をもっていることは『読む辞典—女性学』について書いた回を読むとおわかりになりましょう。

セックスワークについての対立、クオータ制についての対立のように、さまざまな点でフェミニズム内対立があります。セックスワークの非犯罪化を求めるフェミニストやクオータ制に反対するフェミニストが日本にも少しはいるでしょうが、圧倒的少数なのに対して、フランスではより大きな力を持っているように見えます。

 

 

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