千駄木・ふくの湯でタオル祭り終了—なぜ日本人は現実以上に銭湯やサウナで股間を隠しているイメージを持っているのか-(松沢呉一)
千駄木の「ふくの湯」へ
昨日は文京浴場組合の「秋のタオル祭り」4週目の千駄木・ふくの湯に行ってきました。ふくの湯は、平日は午前11時から、土日祝は午前8時から営業していて、前に行った時は日曜日で、朝8時台に着いたんじゃなかったかな。
今回は午後2時台に着きました。また体調があんまりよくなくて、昼過ぎまで寝ていたものですから。体調が悪いと言ってもコロナではなく、腹の調子が悪い。あとは頚椎ヘルニアによる手の痺れがひさびさに出ています。暑苦しいので、夏の間は首枕をしておらず、そのまましなくなってました。油断大敵。
始まりが早いので、午後2時台だと他の銭湯ほどは混んでいません。タオル目当ての人はもらいそびれないように午前中に済ませた人が多いのではなかろうか。洗い場にいるのは10人前後。ここまでの2つの銭湯にいた親子連れもここでは見かけませんでした。
1回しか来たことがないので、場所も覚えておらず、たまたま通りかかっても入りたくなる外観と、入口に階段があって、そこに障害者や老人用の昇降機が設置されていること、最新型のこじんまりした銭湯ということくらいしか覚えてませんでしたが、自然に覚える特徴はそのくらい。ここは男湯と女湯が入れ替え制で、前に来た時はたぶんもうひとつの浴槽です。壁の絵が赤富士だったと思うので。赤富士だったことはこの銭湯の案内を見て思い出しました。
タオルをもらったせいなのか、浴槽の中で頭にタオルを乗せている人たちが目立ちました(湯に浸けなければマナー違反ではない)。
私もタオルをもらい、帰りにはカレンダーももらいました。文京浴場組合謹製のカレンダーで、今回のタオルに使用されたイラスト+アルファをあしらったものです。たぶんできたばかりで、組合のサイトにも案内は出ていないですが、なくなるまで無料配布だろうと思います。
文京区も着々数を減らして、組合銭湯は4軒となりました(ほかに未加盟銭湯があります)。4軒になっても頑張ってます。
※手でもっているので歪んでますが、来年のカレンダーの表紙
腰の手ぬぐい
脱衣場に江戸時代の銭湯風景を描いた錦絵が飾ってありました。前回はじっくり見てなかったのですが、改めて見て「ははあ、やっぱりな」と納得しました。
錦絵の中に「競細腰雪柳風呂」との文字があって、あとで検索したら、アドミュージアム東京のサイトに出てました。
時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂
銭湯の女湯風景。派手な喧嘩の様子がユーモラスに描かれている。壁面には寄席や薬・化粧品等のびらが所狭しと貼られている。当時、人の集まる銭湯や床屋は絶好の広告掲示場であった。
資料名
時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂 (いまようねんちゅうぎょうじのうち くらべこしゆきのやなぎゆ)
制作年/年代
江戸末期(1831-1867)
サイズ
36.9 × 74.5 (cm)
アドミュージアム東京ですから、壁の広告に着目しており、これがあるから保存しているのであります。しかし、私が注目したのはそこではありません。
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