松沢呉一のビバノン・ライフ

「鬼滅の刃」を素材に「大正時代の女学生は下着をつけていたのか?」を解説する台湾の記事を読んで「女性の社会進出と裾の長さ」について考えた-(松沢呉一)

 

自転車に乗る女学生

 

vivanon_sentence台湾のサイトに出ていた、この引札は珍しい。

 

 

見本の引札で、左の空白部分に企業名や商店名を入れます。

今の時代の人がそれらしく作ったのかとも疑いましたが、だったら引札を模すのではなく、ただのポスターのように処理するでしょう。今見ると不自然に見える見本状態の引札にはしないと思います。

珍しいと思ったのは自転車が登場しているってだけではありません。流行の最先端ですから、女学生と自転車の組み合わせは絵葉書の写真や雑誌の挿絵でもよくあります。しかし、写真ではこういった動きまでが表現されることは稀。屋外での一瞬をそのまま残すという発想が広がるのは写真印刷が容易になってからで、それまでは写真館での固定したポーズが主です。

絵なら動きのある図柄があっていいはずですが、引札で自転車という新しいアイテムを使って、ここまでスピード感のある図柄はやはり珍しいかと思います。

 

 

「鬼滅の刃」を解説

 

vivanon_sentence

もうひとつ珍しいと思ったのは髪型です。当時の女学生が一般にやっていたのは束髪です。簡易な日本髪。束髪の多くは旧来の日本髪のように髪の毛を全部上で束ねるのですが、中には後ろに長く流す髪型があって、この引札ではそうすることによってさらにスピードを強調しています。それにしてもこんなに髪の毛の量が多く、こんなに長くしていたのがいたかどうかはわからないですけど。

着物も派手な振り袖です。普段着ではないのではなかろうか。桜が咲いていることから、入学式か卒業式に遅刻しそうなので急いでいるという設定かと思われます。

この引札は日本のサイトから拾ったものだと思われますが、「《鬼滅之刃》服裝大解析!彌豆子竟然沒穿底褲?揭大正時代女性獨特時尚魅力」と題された、この記事もまた驚きです。

鬼滅の刃」のコスチュームを解説していて、未だ私は漫画もアニメも観ていないので、どういう時代設定かさっぱりわからないのですが、明治から大正にかけての女学生の服装について詳しく記述しています。裏とりをしていないですが、私も知らなかったことが出ています(「もともと男物だった袴を女学生が着始め、それを先に導入していた宮中の女物の袴を参考にしてアレンジしたのは華族女学校下田歌子校長だった」など)。

この中で袴の下には下着をつけていたのか否かについて書かれていて、大正8年(1919)に東京女子高等師範学校付属高等女学校で着用が義務付けられていて、それまではつけていなかったとしています。東京女子高等師範学校付属高等女学校はお茶大の前身の女学校です。同校ではこの年にズロースが義務付けられているのは事実です。これ以降はセーラー服が女学校の制服として席巻していくので、袴にズロースが義務付けられた期間は数年のことだろうと思われます。

全員がそうだったかどうかはわからないですが、それまではズロースをつけていない生徒が当たり前にいました。

岩手県一関市博物館より「束髪図解

 

 

next_vivanon

(残り 1467文字/全文: 2728文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ