松沢呉一のビバノン・ライフ

全国フェミニスト議員連盟は、戸定梨香のセーラー服に昭和のエロ・アイコンを見出したのでは?—“新しい学校のリーダーズ”でセーラー服の意味を考察する-(松沢呉一)

 

 

全国フェミニスト議員連盟の薄っぺらさをさらに確認していく

 

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全国フェミニスト議員連盟があのような抗議の公開質問状を出したのは、戸定梨香の衣装がセーラー服だったことにも起因しそうです。

倦怠期の夫婦がセーラー服を夜の営みに導入するという話は昭和の時代の定番でしたけど、今現在、セーラー服の高校は全体の1割くらいしか残っておらず、現実を伴わないイメージとしてのアイコン、ノスタルジーとしてのアイコンに近くなってます。

銭湯のペンキ絵と同じです。それを出しておけばすぐに銭湯だと了解できますから、今もテレビや映画の銭湯シーンでは定番ですが、現実には圧倒的少数派であり(ペンキ絵自体が少数派であり、そのうち富士山は一部でしかない)、そういうタイプの銭湯から潰れていきます。

ペンキ絵を維持している銭湯の割合より、セーラー服を制服にしている高校の割合の方がおそらく少ない。セーラー服の女子校は学習院女子のように伝統ある学校が多いため(学校の伝統が古いだけでなく、セーラー服を制服に採用した歴史も古いので、ああいう学校ではセーラー服をやめにくいでしょう)、伝統服のイメージさえできていそうです。

学校のサイトを確認したら学習院女子は1937年(昭和12年)に「現在とほぼ同型のセーラー服を制服と決める」となっています(この時は「女子学習院」という校名)。けっこう遅い。おそらく制服になったのがこの時で、それまでにもセーラー服を着ている生徒は多かったはずですが、1世紀近くほぼ同型の制服ですから、なかなか変えにくい。

前身の私塾が始まったのは明治時代ですから、やはり歴史の古い大妻中野(中学と高校)は、中学のみセーラー服を残しています。一度にはなくせないって感じですかね。

少数派になりつつも、現に使われていますから、今もセーラー服を見ると、女子中高生にイメージが直結するのはおかしくないとして、「着ているのは18歳以下」と決めつけることはできず、とくに戸定梨香のセーラー服は制服から完全に逸脱していることは明らかですから、あれだけで年齢設定を確定させることは無理です。

なおかつ、あのキャラがエロを表現したと見なすのは相当にいびつな観念を持っている集団です。

さまざまなイメージが付与されているセーラー服の中から、わざわざ昭和のエロイメージを自分の趣味に合わせて見出して排除しようとしたのが全国フェミニスト議員連盟ではないか。

 

 

「新しい学校のリーダーズ」のセーラー服

 

vivanon_sentenceでは、ここで次の疑問です。

4人組のアイドル新しい学校のリーダーズがセーラー服なのはなぜか。

彼女らがデビューした頃は現役中高校生だったはずですが、そのことを今の時代にアピールするならブレザーの方が似つかわしいはずです。年齢が違うのですが、同じセーラー服の学校で結成され(たかどうかは不明。この辺は明らかにされていないみたい)、学校の制服ではないにしてもセーラー服に親しみかがあった可能性もなくはないですが、曲を聴くと事情がわかります。

 

 

 

最近の曲はそうでもないですが、この曲がそうであるように、彼女たちの曲はノスタルジー歌謡なのです。情念に重きのある昭和歌謡やジャズ風味ムード歌謡。

 

 

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