松沢呉一のビバノン・ライフ

なんにもできることはないけれど、たまには難民のことを考える—ついでに全国フェミニスト議員連盟のことも考える-(松沢呉一)

 

 

アフガニスタンを出ても辛い、残っても辛い

 

vivanon_sentence難民のことを知ると自分の無力さと直面して辛くなるのですが、銭湯でのプロジェクトのことをを知って、久々に何本かの動画をチェックしました。

 

 

 

半月ほど前のものですが、状況は変わらないでしょう。

やっぱり辛すぎます。こうしている瞬間にも餓死、凍死、病死している人たちがいるわけで、これらのすべての人たちを救うことはできなくても、ちょっとだけでも救いたいと思うのは当然ですわね。

今年は昨年に続いて忘年会は少ないそうで、その会費分をアフガニスタンの難民に送るといいんじゃないか。難民はアフガニスタンだけじゃなく、ロヒンギャもハイチもエチオピアもスーダンもシリアもいるので、忘年会1回分の金では足りないですが。

アフガニスタンでは、残った人たちも餓死しそうで、このすべてがタリバンのせいではなくて、それ以前からの干ばつによるところも大きいのは前に説明した通り。これから気候変動による食糧不足が本格化しますから、こういうことが頻発して、手に負えなくなりますが、なお余裕がある今はやれることをやっておくと考えるのは間違ってないかと思います。私にできることは中野区と新宿区の銭湯に行くことくらいです。

 

 

アフガニスタンにおけるヒジャブとブルカ

 

vivanon_sentenceアフガニスタンから無理やり展開しますが、「ムスリムの女性が頭部を隠すことの議論を整理する」シリーズで整理したように、ベール(ブルカ・ニカブ・ヒジャブ)の扱いはイスラム国家でも揺れがあり、国によって、また、時期によって扱いは大きく違って、ブルカの着用を義務付けているケースもある一方で、ブルカの着用を禁止している例もあります。

公共の場での着用を禁止しているフランスが叩かれがちですが、イスラム系の国でもそういう国は少なくありません。

運用はさまざまではあれ、根幹にあるのは「女は魅力のある部分を夫以外の男に見せてはいけない」とういうイスラムの考え方です。

これが女の人権を守り、自由を保証する考え方だとする人たちもムスリムにはいるでょうが、私らから見れば、女の人権を侵害し、自由を奪うものでしかない。だから、イスラム圏でも、ベールをしない運動が行われ、逮捕者が出たりしています。「しない自由」が獲得された先に、「する自由」も主張されるわけですが、その前段では「しない自由」が求められます。

アフガニスタンでもこれまでは頭を覆うヒジャブが主でしたが、一部、ブルカやニカブに戻りつつあるようです。

以下はタリバン支配に反対する側のデモ。ヒジャブのみ。

 

 

デモをやれば捕まることもありますが、今もヒジャブをしていれば無闇に捕まったりはしないようです。

タリバン支配に賛成する側のデモでは対称的にほとんどの人がブルカをしていて、一部ニカブです。

 

 

 

タリバンがやらせた官製デモだと言われてますが、タリバン支持者もいるわけですから、ブルカについては自発的でしょう。その方が安心できる女たちがいることも事実。その人たちはそうすればいい。

 

 

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