松沢呉一のビバノン・ライフ

銀座のママ風メイクからナチュラル・メイクへ—唇が物語る[3]-(松沢呉一)

スージー・クアトロは唇を赤くしていたか?—唇が物語る[2]」の続きです。

 

 

美空ひばりの唇

 

vivanon_sentence国外でも国内でも人によりけりではあって、国外ではカレン・カーペンターリンダ・ロンシュタット、国内で言えば浅田美代子山口百恵のように、すっぴんか、化粧をしていても、唇をはっきりとは赤くしない人たちもいて、どいつもこいつも唇を赤くしていたわけではないですけど、1980年代まで、日本で言えば歌謡曲ジャンルの人たちの口紅率は今よりもずっと高かったと思います。

 

美空ひばりは唇が赤い印象が私にはあったのですが、確認してみたら。赤くしている時もあれば、さほど赤みが強くない口紅を使っていたり、さまざまです。

 

 

リサイタルでは曲によって髪型も化粧も変えていて、その時間の確保のためにゲストが入ります。

唇のありようがさまざまなのは意図があって、どうやら和服の時は唇を赤くする傾向がありそうです。これはもっともで、日本の伝統として、和服の際は紅を差す。芸者さんが座敷に出る時は口紅をしていることが多いでしょう。舞妓さんは小さく紅を差しますが、舞妓さんが赤くしない選択はおそらくない。

真っ赤な太陽」はその内容から、唇を赤くしていたのではないかと思ったのですが、これも外れで、真っ赤ではありませんでした。洋装だからかな。

おそらく美空ひばりは和服の時に限らず、歌い手として登場する場合はつねにぴっちりと化粧をするのが当たり前という感覚の人で、曲と衣装の関係についてもこだわりが強かったのではなかろうか。昔の人たちはたいていそうであって、よそ行きだから口紅をするという感覚もあったかもしれない。真っ赤ではないにせよ。

※コロムビア・レコードの美空ひばりプロフィール・ページより。これは衣装に合わせた唇でしょう。

 

 

王道歌謡曲の歌い手は銀座のママ風

 

vivanon_sentenceとくに色気を振りまいていた人はたいてい赤い。

たとえば奥村チヨ。

 

 

恋の奴隷」は1969年のヒット曲で、この映像ははもっとあとのものでしょうけど、そんなに変わっていない感じ。1969年、私は小学生ですけど、この頃はテレビをよく観ていたので、この辺のヒット曲には詳しい。

「あなた好みの女になりたい」と言われたら逃げますが、銀座のママだと思うと許せます。髪の毛、化粧、衣装、靴、すべてが銀座のママ。

「私の特技は客の好みを見抜いて、その通りの女になれることかな。でも、メリットのある客だけね」

彼女らの唇はそう語っております。

 

園まり逢いたくて逢いたくて」は1966年のヒット曲。タイトルを見てもピンと来なかったですが、聴いたら一緒に歌えました。

 

 

これももう少しあとのテレビ番組でしょうけど、銀座のママのカラオケ大会みたいな服装とメイクです。

ママから「逢いたくて逢いたくて」と電話がかかってきたら、営業だとわかっていても店に行くでしょ。

 

 

銀座のママとは違う路線の歌手の人たち

 

vivanon_sentenceアイドルは人によりけりで、天地真理は赤くしている時もあれば、さほど赤みが強くないこともあります。

以下はわりと赤い。

 

 

 

 

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