松沢呉一のビバノン・ライフ

あばずれが女性の発言権を拡大し、女性解放を実現した?—唇が物語る[7]-(松沢呉一)

日本女性の口はいつから大きくなったのか、誰が大きくしたのか—唇が物語る[6]」の続きです。

 

 

大きな口を獲得したのはあばずれだった

 

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前回取り上げた早坂若子「口紅と女性の歴史は「女の発言力が強まるようになるに従い、口紅をつける範囲は広がっていった」とされていることが事実かどうかを検討する内容です。

長いレンジで見た時には「明治以降、女の発言力は強まってきた」と「明治以降、口紅をつける範囲は大きくなった」というふたつの変化はたしかにあったと言えそうですが、そもそも小さな口を美としたことが地位の低さ、発言力のなさとリンクしたものなのかどうか、私にはよくわかりません。たしかに女が歯を見せて大笑いすることははしたないこととされていたことを考えると、そういうこともありそうでありつつ、無理矢理な連想のような気もしつつ。

筆者はこうまとめています。

 

おちょぼ口は「女の発言権が認められていなかった象徴」という記載通り、女性の発言権、婦人の解放を優先的に実現しようとしたGHQの時代に、おちょぼ口を卒業した。

 

この指摘は戦後すぐになされていたものだそうです。ここでは発言権と口紅の大きさは関連しているとして、もしそうであるなら日本において女性の発言権、婦人の解放をもっとも果敢に実現していったのは、前回確認したように、大正から昭和にかけての女優、モデル、カフェーの女給、ダンサー、モダンガールといった人たちでした。ことによると、エレベーターガールや車掌たちもそうだったかもしれない。

大正期までの婦人雑誌の表紙と違って、昭和に入ってからは和服でも唇を大きく赤く塗った絵が表紙を飾るようになっていて、これは洋装のあばずれに和装が引っ張られた結果ではなかろうか。

ここんところの推移はより細かく見ていく必要がありそうですが、いずれにせよ、「口紅と女性の歴史」が記述するように、女の口を大きくしたのは戦後のことという見方は正しくなさそうですし、このような変化において、婦人運動家、つまりフェミニストとされる人々の貢献はとくにないと思います。

以前から言っているように、社会を具体的に変えてきたのは白眼視されるあばずれだったりします。婦人運動家たちの多くは、あばずれを蔑視し、排除し、せいぜい自分たちが救済してやる対象としかとらえなかったことを確認しておきます。

※「婦人世界」昭和4年10月号 前回口絵を出した「婦人世界」も昭和に入ると和装でも口が大きくなっていることがわかろうかと思います。こちらのブログから借りました。同時期の婦人雑誌の表紙が多数出ているので参考にしてください。洋装でも和装でも唇は今と同じ程度に大きい。また、目も大きい。

 

 

化粧を強いられてきたものとだけとらえると間違える

 

vivanon_sentence口紅と女性の歴史筆者はこうも書いています。

 

口紅には外部的な欲求が表現されやすい。

 

これを筆者は「男受け」としています。男の好き嫌いが唇に反映されている。「主体は男にある」という考え方がこの背景にあります。これもあるにせよ、それだけではないとの感触が私にはあります。

戦前、唇を大きくした女たちを銀座や浅草では見かけることもあったでしょうが、原則室内や車内が職場であり、広く目立つ形でおおっぴらに唇を大きくしたのは「口紅と女性の歴史」の筆者が言うように、戦後のパンパンたちだったかもしれない。

 

 

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