ナチスに反対するために連合国に情報を流していたドイツ国軍の軍人たち—ロジャー・マンヴェル/ハインリヒ・フレンケル著『ゲシュタポへの挑戦—ヒトラー暗殺計画』[中]-(松沢呉一)
「ドイツ国軍内反ヒトラー勢力—ロジャー・マンヴェル/ハインリヒ・フレンケル著『ゲシュタポへの挑戦—ヒトラー暗殺計画』[上]」の続きです。
拡大する反ナチス派
同性愛者の嫌疑をかけられたフリッチュに対する軍法会議を主導したのはルートヴィヒ・ベック参謀総長でした。以降、ヒトラー暗殺計画の中心的役割を果たす人物の一人です。ベックはここでヒトラーに反対する国軍内の人脈を広げていきます。
その一人がハンス・フォン・ドホナーニ(本書ではドナニュイ)でした。フリッチュの裁判では判事を務めた法律家です。ギムナジウムでボンヘッファー兄弟と知り合い、ディートリッヒとクラウスのボンヘッファー兄弟の妹クリスティーネと結婚。長いナイフの夜の段階でナチスに批判的でした。
国防軍情報部のハンス・オスターから声がかかって情報部に所属し、神学者のディートリッヒ・ボンヘッファーを情報部に引き込みます。ディートリヒ・ボンヘッファーはナチス批判をラジオでやったり、告白教会の設立に関与するなど、ナチスにとっては札付きの人物でしたが、うまいことごまかしたようです。
ドホナーニはユダヤ人弁護士らを国外に脱出させることもやっています。
ヒトラーはフリッチュを失脚させるだけでは飽きたらず、自殺に見せかけて殺そうとしていたのですが、これも国軍が阻止しています。
ソ連、英米を敵に回すことになるヒトラーの考えには、軍の多くは納得しておらず、ブロンベルクやフリッチュのように、理にかなった意見を言って罷免されるのは納得できないものがあったでしょう。
※Wikipediaよりヴェルナー・フォン・フリッチュ
国軍内反戦グループ
旧右派であるカナリスが反ナチスに転じたのは、ヒトラーが戦争を厭わないことへの反発でした。カナリスもソ連を敵視はしていても、戦争になったら負けるとの読みをもっていて、それを回避しようと動きます。軍内の右派陰謀者たちが反戦に動いたのです。あくまで「ソ連と戦争するのは時期尚早」という意見が主流でしたが。
カナリスはチェコスロバキアにドイツが侵攻することは対ソ戦を不可避とすることだと反対し、チェコスロバキアに回避のための情報を流しています。また陰謀者の一人、ルートヴィヒ・ベック陸軍参謀総長は、チェコスロバキア侵攻への反対意見をヒトラーに進言しますが、聞き入れられず、ベックは辞任をし、以降は一市民として反ナチス・反ヒトラーの活動に従事します。
この時、カナリスやベックらはクーデターを計画するのですが、連合国はズデーテン割譲を追認したことから、クーデターは連合国から支持されないと判断して実行されませんでした。
おそらくこの動きとはまた別ではないかと思うのですが、1938年9月に、第三軍団司令官エルフィン・フォン・ウィッツレーベン、ベルリン警視総監ウォルフ・ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ、ベルリン駐屯第16軍団司令官エリヒ・ヘプナーらも、クーデターを画策。ヒトラーを逮捕したあとどうするかの綿密な話し合いがなされていましたが、実現には至らず。
数々のクーデター計画、暗殺計画が立てられながらも、その多くは実現しなかったのは、国民のナチス支持、ヒトラー支持が強かったことも影響していたでしょう。クーデターを起こしても国民に支持されないのでは、内戦になりかねない。
戦争回避のため、対象国に情報を流していた陰謀者たち
カナリスはスペインのフランコと親しく、スペインが第二次世界大戦に参加しなかったのは、カナリスが食い止めたためらしい。
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